アカデミック蛙飛び(リープフロッグ)のモデル

野口悠紀雄氏の「リープフロッグ(leapfrog、蛙飛び)」という本が2020年12月に出版されて、普通の人には、およそ、なじみのない「リープフロッグ」という言葉が広まりつつあります。

なお、以下の「リープフロッグ」使い方は、野口悠紀雄氏の「リープフロッグ」とは、異なります。

「リープフロッグ」という単語は、計算論的思考では、数値計算に用いられる単語で、偏微分方程式の数値解を求めるときに、連続方程式と運動方程式を交互に解く場合などに用いられます。図式的に書けば、次のようになります。

方程式A=>方程式B=>方程式A=>方程式B

もっと、簡略すれば、次になります。

A=>B=>A=>B

ここで、時間は左から右に流れていきます。

リープフロッグは、計算論的思考で言えば、AとBが交互に現れるパターンのイメージが強い気がします。

ここで、Aの出力(結果)が、Bの入力(原因)になり、Bの出力(結果)が、Aの入力(原因)になるという因果モデルの連鎖ができている点が重要です。

このパターンの応用として、科学や学問の進展があります。

コンピュータサイエンスを含む自然科学では、論文は、something newであることが基本です。コンピュータサイエンスでは、データか、アルゴリズム(手法)か、のどちらかがsomething newになります。物理学は、大きく、実験物理学(データ中心)、理論物理学アルゴリズム中心)、計算物理学の3つに分かれます。計算物理学は、コンピュータサイエンスの一種でもありますから、更に、データか、アルゴリズムに分かれます。つまり、物理学も、something newは、データとアルゴリズムに大別できます。

コンピュータサイエンスや物理学の発展を見ていると、学問の主役としてこの2つが交代して、進んでいるように見えます。

データ=>アルゴリズム=>データ=>アルゴリズム

現在の機械学習は、データ中心です。クラウド上にある膨大なデータが利用できることから、手法は単純にして、データに多くを依存しています。ちょっと前までは、AIは冬の時代でした。冬の時代になった理由は、アルゴリズム中心のアプローチが行き詰まったからです。現時点では、ニューラルネットにはわからないことが多いです。あることを学習したニューラルネットワークは、新しいことを学習する場合に、ゼロから学習するニューラルネットワークより、習得が容易な場合が見つかっています。また、アルファ碁のように、学習に必要なデータそのものをアルゴリズムで作成する方法も使われています。おそらく、こうした事例の解析が進めば、データの少なさをアルゴリズムが補う手法が開発されると思われます。つまり、次は、アルゴリズム中心の時代が予想されます。

アカデミズムでは、データが増えない分野もあります。古代ギリシア語の文献を使っているギリシア哲学や、過去帳をデータに使っている歴史人口学などが、該当します。これらの学問は、今あるデータを全て解析し終わると、新しい学問を生み出すことはほぼ不可能になります。

一方、アルゴリズム(手法)で、学問の専門分野を規定している場合もあります。しかし、手法を固定すると、ダイナミズムが失われます。例えば、多くの学問分野では、コンピュータや機械学習は、アルゴリズム(手法)として、利用することは可能です。しかし、こうした手法の拡張を拒否している分野もあります。

文字を読むことは、文字のコード情報を目に入れることです。手法は、紙でも、電子媒体でも変わりません。しかし、手法を固定化する人もいます。ウィキペディアの情報量は、昔のブリタニカより多いです。電子媒体を使うというアルゴリズム(手法)の改善が、次に、ウィキペディアの情報量というデータの改善へとリープフロッグして、進歩が起こります。アルゴリズム(手法)を、紙媒体に限定すれば、ブリタニカの情報量で止まって、リープフロッグがおこらず、取り残されます。

つまり、学問の発展は、「データとアルゴリズムの蛙飛び(リープフロッグ)」をうまく活用できるか、否かにかかっているように思われます。

 

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