「歴史主義の貧困」の計算論的研究(1)

「歴史主義の貧困」とは

カール・ポパー(1902-1994)は、「科学的発見の論理( 1934)」で、科学性と非科学性を分け隔てる方法として、反証可能性を提示したことで著名な科学哲学者で、1992年に京都賞を受けています。

ポパーは「歴史主義の貧困(1936,1957)」と「開かれた社会とその敵(1945)」で、「物事は一定の法則にしたがって歴史的に発展してゆく」とする歴史法則主義あるいは社会進化論を批判します。更に、弁証法を基軸とするヘーゲルマルクスを批判します。この背景には、ソ連の主張する科学的社会主義が、科学ではなく、開かれた社会とその敵(全体主義)であるという主張があります。

なお、「歴史主義の貧困」は、「開かれた社会とその敵」とセットで理解できるといわれていますので、以下では、この2冊の著書を、「歴史主義の貧困」という言葉で、まとめて呼ぶことにします。

コンテクストの問題

自動翻訳や、音声認識において、コンテクストは、非常に大きな問題です。単語の意味は、コンテクストが変わると大きく変化します。コンテクストは、場面で異なりますが、時代でも異なります。

カール・ポパーが「科学的発見の論理」と「歴史主義の貧困」を出版した時には、自然科学の代表は物理学であり、社会科学では、ヘーゲルマルクスの歴史主義が大きな勢力を持っている時代でした。例えば、科学の定義として、ポパーは「科学理論は実験(客観的データ)によって反証出来なければならない」と主張しますが、この主張は、物理学を念頭においていると思われます。

ポパーは1994年に亡くなりますが、その後の30年では、次のコンテクストの変化が起こりました。

自然科学では、コンピュータサイエンス、データサイエンスは大きく変化しました。生物学も、遺伝子解析と生態学脳科学が大きく変化しました。一例をあげると、物理学の時代には、「科学的命題は、本質的に『全ての鴉は黒い』と云う全称命題」と考えられていました。しかし、遺伝子治療は、個別の遺伝子配列を問題にするのであって、「全称命題」ではありません。遺伝子に書かれた情報は、生殖によってコピーされますが、その時に、コピーミスが生じます。また、加齢によって、遺伝子を補修する機能が失われ、その結果、がんが発生すると考えられています。遺伝子のコードは、「共通性のあるコード+個体差を反映したコード+意味のないコード」に分かれると考えられますが、この区分は、研究の進展によって変化しています。こうした遺伝子解析には、コンピュータサイエンスの進歩が大きく関与しています。つまり、生物学では、「全称命題」のフレームワークで、科学と疑似科学の判別を行うことは不可能です。また、人間が対象の場合には、倫理的問題があり、客観的データをえる実験はできません。このため科学と疑似科学の判別を行うためには、新しいエコシステムの構築が必要です。

社会科学では、マルクスの歴史主義はソ連の崩壊で、力を失ったように見えます。中国は、市場型の社会主義を標榜していますが、実態は、どこが、社会主義かわからない状態になっています。おそらく、ポパーが生きていたら、中国をみて、「開かれた社会とその敵」で述べたマルクス主義の危険性が実現しているというでしょう。一方では、民主主義が運用されている世界の国の割合は、1、2割と言われ、ポパーが期待したような開かれた社会にはなっていません。IT化の促進で、資本主義の国では、ベーシックインカムが議論されています。主な、論点は、財源、労働意欲の喪失、課税の平等性、移民の扱いなどです。これらのベーシックインカム問題を見ると、多くは、社会主義の中で、既に、議論され、検討されつくしてある程度の答えが出ていてしかるべき事項ばかりです。社会主義の100年の歴史で、こうした検討が全くなされてこなかったことには驚きを隠せません。ポパーが生きていたら、社会主義の本質は全体主義なので、ヒトラーのような独裁者のでる政治システムだから、まともな検討をするわけがないと言われそうです。

マルクス主義が力を失った位置を、現在は、地球環境問題が占めているように見えます。少なくとも、ポパーが生きていたら、地球環境問題を無条件に受け入れることはないと思います。というのは、地球環境問題の社会経済シナリオは歴史主義そのものだからです。地球環境問題は、スーパーコンピュータを使った数値シミュレーションで、将来を予測し、その結果は、科学的で間違いのないものであるとされています。時として、何%の確率で気温が何度上がるというような数値が提示されます。CO2の発生量は、歴史主義を使った社会経済シナリオに大きく依存しますが、その点は棚上げにされています。この姿勢は、「マルクス主義は、科学的社会主義で、社会主義が成立するのは、歴史の必然法則である。」と主張していたこととそっくりです。ポパーの時代には、認知科学脳科学の一部)が進んでいなかったので、ポパーは、「歴史主義の貧困」で正論を提示すれば、問題は解決できると考えていたふしがあります。現在は、認知科学が進んで、人間の行動は、カーネマンのいうヒューリスティックを中心としたシステム1に支配されていることがわかっています。言い換えれば、人間の行動の9割は歴史主義(ヒューリスティック)に基づいています。地球環境問題は、歴史主義のため、社会に広く受け入れられているのです。これを覆すことは容易ではありません。(注1)

歴史主義は、哲学の抽象問題ではありません。例えば、カメラメーカーのオリンパスが赤字で、カメラ部門を売却します。WEBでの書き込みを見ると、昨年の売り上げがいくらだった、市場のシェアがいくらだったという議論ばかりです。オリンパスの経営問題は、過去の売り上げではなく、ビジネスの将来展望が描けないことにあります。今年の従業員の給与は、今年の売り上げから出します。つまり、問題は、将来の売り上げであって、過去の売り上げではありません。これを見ると、トレンドを見て将来が予測できるという歴史主義に多くの日本人が洗脳されています。ポパーが、「歴史主義の貧困」で言っていることを、カーネマン流に翻訳すれば、問題解決には、システム1(歴史主義)は無効で、システム2を使わなければならないということです。年功序列の公務員や大企業の従業員は、人事システムが、事前に予測できる「歴史主義」になっています。ソニーやホンダも設立当初は、いつつぶれても不思議ではない環境で経営していたので、「歴史主義(ヒューリスティック)」にとらわれることはありませんでした。それが、大企業になるとイノベーションできなくなるのは、「歴史主義」の弊害です。つまり、ポパーの「歴史主義の貧困」を日本企業に当てはめれば、「歴史主義」の人事システムを変えない限り、企業は行き詰まるということになります。この指摘は、正しいと思いますが、システム1の認知バイアスを回避すること、つまり、意思決定で多数派をとることは容易でありません。この認知バイアス独裁政権が存続できる権力の根源かもしれません。

まとめますと、以上の例でもわかるように、ポパーの「歴史主義の貧困」は、認知科学を参考にしながら、現在のコンテクストで計算論的に読みなおす価値のある古典だと思います。なお、「科学的発見の論理」にも、同様のコンテキスト問題がありますが、こちらは、複雑すぎて、直ぐには手に負えないので、今のところ放置しています。

今後、時間を見ながら、「歴史主義の貧困」を計算論的な視点で解読してみたいと思います。

 

注1

温暖化は正確には、50年後、100年後の問題です。にもかかわらず、今年のサクラの開花が早いのは温暖化のためであるという類のマスコミ報道が非常に多いのは、サクラを見たという経験(ヒューリスティック)に訴えることが、視聴率を稼ぐうえで、有効だからです。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%83%91%E3%83%BC

  • 開かれた社会とその敵 wiki

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%8B%E3%81%8B%E3%82%8C%E3%81%9F%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E3%81%A8%E3%81%9D%E3%81%AE%E6%95%B5