ストックからフローへ(2)

モノからサービスへ

ストックとフローの問題を考える上で、産業構造が、製造業(第2次産業)から、サービス産業(第3次産業)に移行したことが重要です。自動車のようなフローは、生鮮食料品ではありませんから、ある程度はストックがききます。これに、対して、サービスには、ストックがききません。つまり、サービス産業化が進んだことで、経済をフロー中心にとらえないと、実態が把握できなくなっています

前回のデジカメでフローを考えてみます。今までは、デジカメで撮影した写真は、印刷して、展示会に出したり、美術館で見るものでした。しかし、現在は、撮影した写真の99%はインターネットを経由して、デジタル機器でみるものです。膨大な量の画像が、アップロードされては、消えていきます。つまり、デジタル写真は、インターネット上の画像のフローになります。インターネットにアップする写真は、インスタグラムでもGoogle Photoでも、1000x1000ピクセル程度のほぼ同じサイズです。これは、現在のネットワークの容量とデジタル端末の解像度を考えて、フローを最適化した結果と思われます。今後、ネットワークの容量が増え、あるいは、VRメガネの解像度があがれば、規格は変化すると思われますが、その場合にも、フローの最適化が図られると思います。フローの最適化に対応していない写真は、誰からも見られることはありませんので、存在しないのと同じになります。

あるいは、ブログのような原稿を書く時には、1テーマで、1800字前後に納めた文章を書くことが原則になっています。これも、ネットで、読む人の1まとまりの時間を考えると、このサイズが最適といわれています。つまり、フローの最適化が、作文の作法になっています。

この流れで考えると、ストック中心の美術館や博物館は、よほど頻繁に展示物を入れ替えるか、ネットと協同しないと存在価値がなくなると思われます。とくに、VRが普及するとその傾向は強まるでしょう。

モノとサービスの境があいまいなこともあります。先日、置時計のボタン電池が切れたので、100円ショップに買いにいきました。家の中に、ボタン電池が残っている可能もありますが、何分小さいので、探して見つかる自信がなかったのです。直ぐに、保存場所が思い出せない場合には、仮に、時間をかけて探して、ボタン電池がなければ、時間のロスも馬鹿になりません。100円ショップにいったところ、探していた規格のボタン電池のパッケージは2種類あって、1つは2個入り、もうひとつは1個入りで、どちらも税込み110円です。最初は、半額の2個入りを買おうかと思いました。しかし、1つを予備に保存してまた、行方不明になるのは環境に悪いと考えて、結局1個入りを購入しました。この時に、これは、ボタン電池のモノが欲しいのではなく、問題はサービスだと気づきました。

自動運転自動車も、モノではなく、サービスなので、フローになります。Uberも同じです。こうした、フローのサービスでは、市場は限定的で、差別化できないと生き残れません。生産ラインを持つことが、優位とは言えなくなります。類似の例は書ききれないくらい多いので、この項は、ここで止めておきます。

サービスの生産工場

産業が、サービス産業中心になると、従来の生産ラインを動かせば、生産できるという経済のイメージを変更する必要があります。例えば、昨年ヒットしたアニメの鬼滅の刃というアニメ映画があります。この製作には、アニメの作成工房の機械が使われていますので、その点では、生産ラインがあると考えられます。しかし、自動車工場の生産ラインと違って、生産ラインを作るのに必要な投資額は小さいですし、なによりも、自動車のように、ある水準以上の製品を作れば、売れるというものではありません。つまり、製品(アニメ)が売れるためには、生産ラインは2次的な役割しか果たしていません。

アップルのiPhoneは、水平分業の代表的な製品と言われます。iPhoneにも、生産ラインがありますが、アップル社は、特定の企業の生産ラインに依存しないで、代替性を確保しながら、コアな部分の内製化を図っていると言われています。この場合も、自動車と比べれば、アニメと同じように、生産ラインは2次的な役割しか果たしていないと思われます。トヨタのような垂直分業では、株式の投資は、工場の生産ラインに変化されますが、水平分業では、工場の生産ラインと、ブランド製品の生産会社の株式の間には関連がなくなります。

iPhoneのOSは、アップル社が製造していますが、OSのソフトを作るには、労力と時間が、かかりますから、それなりの資金が必要です。しかし、OSには、自動車のような生産ラインはありません。しいて言えば、クラウド上の自動アップデートシステムが、生産ラインに近いと言えるかもしれません。つまり、アップル社が、株式で調達した資金は生産ラインの建設に使われるわけではありません。

サービスの生産では、ストックは効きませんので、フローの品質を制御して、より高い使用料をおさめてもらうビジネスモデルになります。収益は、フローの品質の制御にかかわります。たとえば、おなじiPhoneでも、価格の安いモデルと高いモデルがあります。モノの量は同じです。違いはサービスの質だけです。全ての人が、価格の高いモデルを希望するわけではないので、質と価格のレベルのバランスを図る必要があります。つまり、フローを前提に最適化を図ることが必要です。

サービスの生産工場を立ち上げる資本は小さくて済みます。サービスの生産工場が成功すると、アマゾンやGoogleのように、大きな利益を得ることができます。利益を生み出しているのは、生産ラインではなく、ソフトウェアやクラウドを中心とした、問題解決のためのツール(システム)です。アメリカでは、一部のお金持ちが更に豊かになり、貧富の差が大きくなったことが問題視されています。これは、マルクスが指摘したように、お金が、お金を生む資本主義のシステムの歪みのようにも言われます。しかし、この分析には、因果関係が欠如していると思います。マルクスが、資本主義を批判した時には、生産は工場のラインで行われ、工場の所有者である資本家には、膨大な富が入りました。これは、地主に地代が入ったのと同じ構造です。現在の長者番付の上位には、IT起業家が多く入っています。彼らが、富を築いたのは、問題解決のためのツールを持っている会社を起業して、その株式を所有していたためです。ここで、富を生み出したのは、問題解決のためのツールであって、資本ではありません。つまり、お金が少ししかなくとも、問題解決のためのツールを生み出せれば、富を生み出すことができます。貧富の差が拡大したのは、結果であって、因果モデルで考えれば、貧乏人にチャンスがないわけではありません。(注1)ただし、社会が、問題解決のためのツールを生み出すというチャレンジに対して、どれだけ寛容であるかは、重要なポイントです。明らかに、年功序列は最悪です。

まとめ

まとめます。「資本=ストック」が富を生み出すという「生産すれば、売れる構造」は、崩れています。ビジネスは、フロー中心に考えるべきです。フローを制する者は、富を得ることができます。そのためには、競争優位となる問題解決のためのツール(システム)や、アート、ブランド価値を持っていることが必要です。ただし、これらは、価値は、時代により、変化します。(注2)この局面では、資本の機能は2次的です。資本家は、そのような競争力のある会社に投資できれば、富の分配にあずかれますが、規模の経済に期待した投資は行き詰まります。逆に、優れた目利きであれば、成功した起業家と同様に資産を増やすことができるはずです。

 

注1:

問題解決のツールを持てるか否かが、貧富の差の原因になります。現時点では、生産ラインで、ビジネスをしている企業が、まだ、かなりありますから、富裕層であること(資本を持っていること)が、富を増やす上で有効な面が残っています。しかし、フロー化が進むと、それに対応できた、富裕層と対応できなかった富裕層で差が出るはずです。これは、戦前の財閥で、終戦を超えて生き残った財閥と生き残れなかった財閥のような違いです。目利きを間違えると、これからは、富裕層も生き残りが難しくなります。それから、当たり前ですが、貧乏人(あるいは誰も)が、何もしなくても、豊かになれる社会は存在しません。そのような政約を口にした過去の政治家が実現した社会は独裁政権でしかありません。機会の平等は確保すべきですが、結果の平等は、皆が努力しないので、平均的に貧しくなります。問題は、だれもが、どのような努力をすべきかというメンターが見つからない社会は、発展しないことです。

注2:

最近、ムンクの名画「叫び」に、1904年に発見されたノルウェー語の鉛筆の落書き「狂気的な男にしか描くことができない」はムンク本人の筆跡であると断定されました。時代を超えたアートもありえますが、それには、狂気に近い独創性が必要かもしれません。