計算論的思考と人文・社会科学(8)~帰納法と演繹法をめぐる考察(17)

計算論的思考と人文・社会科学(8)

認知メガネとVR(3)

刺激の量と反応

今回は、「認知メガネとVR」の最終回です。

前回は、脳起動型のVRについて考えました。今回は、関連する課題に触れます。頭の中が、まだ、未整理で、

体系的には、扱いきれないので、いくつかの視点を提示します。

  • 刺激の大きさと反応の大きさの課題

VRモデルの基本は、VRゴーグルを通して目に刺激が入ってきて反応することが基本です。その発展形として、脳に電極を埋めこむか、等価な効果を発揮できる装置があれば、ゴーグルをつかわなくても、同じことができると考えます。簡単に言えば、「刺激ー>反応」モデルです。刺激と反応のモデルとして、一世を風靡したものに、スキナーのモデルがあります。こんな単純なモデルが当てはまらないことは、中学生にもわかるレベルなのですが、それが、一世を風靡したのは、物理学モデルに対する高い評価があったからかもしれません。(注1)同刺激を与えても、被験者で、反応は違います。同じ被験者でも、反応は状態で異なります。たとえば、美味しいご馳走の写真を見ても、お腹がすいている時と、満腹な時では反応が違います。つまり、刺激の大きさと反応の大きさ関係は単純な線形関係ではありません。

こう考えると、今まで認知のメガネは、主に、個体差を中心に考えてきましたが、個体の状態でも異なります。実は、現在のネット販売のレコメンドシステムは、そこまで見ているかもしれません。例えば、食品のレコメンドであれば、想定される食事時間の前と、後では、レコメンドする商品を変える方法です。

  • 2組の認知メガネの課題

一番簡単な線形結合モデルで考えれば、認知のメガネは、個人がどのグループに属しているのかという認知メガネと、各個人のその時の状態を表す認知メガネの2組の認知メガネから構成されているとみなせます。しかし、そのようにモデル化しても、個人の状態を表す認知メガネには、不確実性が伴います。というのは、個人の状態を表す認知メガネには、外部から制御する部分と個人が主体的に制御する部分があるからです。ただし、後者が、どの程度可能かはトレーニングによります。快川紹喜は、「心頭滅却すれば火も自ら涼し」と言いましたが、これは、個人の状態を表す認知メガネを自分の意志で、ほぼ制御できるという意味です。一方では、マシュマロテストのように、誘惑に負けないために、できるだけマシュマロを見ないようにするというレベルもあります。ダイエットや禁酒、禁煙で言われていることは、マシュマロテストと同じで、ある時期(時間)に、まったく、食べものや、お酒、たばこを取らないようにする方が、摂取量を許容量以下にするよりも、心理的な抵抗は少ないということです。

  • 変化する認知メガネの課題

個人の状態を表す認知メガネを、外部から制御することも考えられます。これは言い換えれば、感覚系に介入することです。最近では、肉は、環境に良くないということで、ビヨンドミートが流行っています。究極の環境によく、かつ、体によい食べ物はおそらく、ドッグフードのようなものになるでしょう。実際、ドッグフードを食べるようになってから、犬の平均寿命が延びたと言われています。人間も、毎日ヒューマンフードを食べて、認知メガネのスイッチを調整して、今日はビフテキ風味、今日はカレー味、のように、食べるものは変えずに、感覚系の介入でいろいろなものを食べたつもりになる方法(ビヨンドビヨンドミート)も考えられます。ビヨンドミートの延長線で考えれば、ビヨンドビヨンドミートが、最も環境負荷が小さく、かつ、健康に良い食事になります。もちろん、こうしたことは強制できる訳ではありませんが、ビヨンドビヨンドミートを使う場合と使わない場合で、医療費や生命保険料に差が出ることはあるでしょう。

  • 実世界の変化の課題

仏教では、煩悩の原因を心の持ち方に求めます。このため、失調症の治療には、仏教的なアプローチは有効です。一方、このスタンスでは、実世界の変化は期待できません。おそらく、この点が、最大の論点ではないかと考えます。映画のようなヴァーチャルツアーで満足できれば、ジェット機のCO2を排出しませんので、環境負荷は小さくなります。つまり、実世界の変化がないことには、メリットもあります。しかし、通常、実世界には解決すべき問題がありますので、それを放置することは危険です。認知メガネにたよりすぎると、そうした状態に陥ります。こうした実世界の変化を必要とする課題を放置するリスクは、別に認知メガネをつかわなくとも、アニメでもサッカーでも、オタクなファンになっている人には、既に、出現している課題です。ただし、VRによって、その程度はひどくなると思われます。

注1:

帰納的な観察研究が、客観的であるという誤った理解が現在でも、依然として流布しているのは、物理モデル優位時代の名残です。

  • 快川紹喜

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%AB%E5%B7%9D%E7%B4%B9%E5%96%9C