計算論的思考と人文・社会科学(7)~帰納法と演繹法をめぐる考察(16)

計算論的思考と人文・社会科学(7)

認知メガネとVR(2)

今回は、認知メガネを前提として、VRについて考えます。

VR

一般には、VRは、3次元で、モノが見えることをさしますが、VRに、認知メガネが加わると、次のような世界が想定されます。

  • 見えるものは主題化されます。例えば、恋愛映画に出てくる登場人物は、美男美女だけで、お金持ちです。富豪ではないかもしれませんが、食べるものがなくて、飢え死にしそうな、レ・ミゼラブルの登場人物がでてくることはありません。これは、恋愛映画という主題に合わせて、見えるものにバイアスがかけられるためです。技術的にどこまで可能かという問題はありますが、VRに認知メガネが加わると、このような主題化がおこります。

  • 見えるものがパーソナライズされます。あなたが、きらいなもの、見たくないものがみえることはありません。蛇が嫌いであれば、VRには、蛇は出現しません。

この変化は、大きな効果を生むとおもわれます。映画館で映画を見た場合、その話は、映画の中だけで、映画館を出れば、別の世界があることを認識しています。その区別は、映画館という特殊な空間に結びついて、認識されています。VRメガネでは、この空間による識別は働きません。

脳駆動VR

VRの応用として、脳をVRの起動スイッチにする方法が検討されています。通常は、見ることは、光の信号を受け取ることであり、対象物に変化をあたえることはありません。しかし、カタログを見る代わりに、VRで、棚を見て、商品を購入するような利用が考えられています。この場合に、VRで商品をみて、指先の筋肉の反応をみて、商品を購入したいのだと判断するのであれば、自動車のハンドルと同じで、筋肉の延長線にあります。しかし、脳のシグナルを直接利用すると、別世界になります。脳のシグナルには、入力と出力が考えられます。

 ハンドル操作のように、脳からの信号の出力を使う場合には、筋肉を使わなければ、手足の制約はなくなります。脳が、どこまで対応できるか不明ですが、自由度が大きい場合には、ロボットの手が4本でも可能かもしれません。あるいは、自由度が低い場合には、指の信号の一部を腕の操作に使うなど工夫すればロボットの手が4本にできるかもしれません。クラッシックの指揮者の場合、1960年頃では、指揮棒の右手と左手で別のリズムを振る(現代音楽では当たり前の条件)ことができる人は少なかったようですが、現在では、プロであればだれでもこの程度のことはできるそうです。ですから、どこまで拡張できるかは、訓練によりますが、まったく不可能ではないようです。ただし、千手観音のレベルは難しいと思われます。

入力系を考えれば、これは、目が4つある、顔の後ろにも目がついていることが可能になります。

このように脳起動のVRでは、スーパーマンのような世界が可能になります。

VRと実世界

今のところデモされているVRは見ることが中心で、VRによって世界をかえることはできません。この場合には、3次元の映画を見ているようなイメージです。信号はVRのシステムから脳に一方的に流れてくるだけです。VRでは、疑似的に3次元が、実現しますので、3次元映像がVRであると思われています。ただし、筆者は、VRの本質は3次元映像ではなく、脳起動にあると考えています。

自動車を運転するときに、ハンドルを回します。アクセルを踏みます。こうして運転を繰り返すと、脳は、アクセルを踏むと自動車が走ることを認識します。(電動でない)自転車では、ぺダルを踏むことで、その力が、タイヤに伝わって自転車は、前進します。自転車は、筋力の延長ですが、自動車は、筋力の延長ではありません。つまり、自動車のアクセルはバーチャルな筋力です。しかし、通常はそのことを意識することはありません。

VRは、この延長にあるので、慣れてしまえば、ヴァーチャルと感じられないと思われます。更に、アウトプットが自動車のようにリアルの場合と、カーレースゲームのようにバーチャルの場合があります。先ほど、リアルの世界のロボットの手であれば、4本くらいはできるが、その上には限界があると指摘しました。しかし、バーチャルであれば、現在も、サッカーゲームを行っています。つまり、アウトプットにバーチャルの世界が介在すると、リアルとバーチャルのアウトプットの間の変化は、連続的であり、リアルとバーチャルの間に線を引くことは、ほぼ、不可能になります。

まとめ

以上のように考えると、VRは子供だましのおもちゃではなく、人間の認識構造の深い所に結び付く可能性があることがわかります。VRは、うまく使えは、スーパーマンができますが、一つ間違うと、とんでもない総合失調症に陥る世界です。この世界に比べれば、スマホを使うと、頭が悪くなるとか、勉強ができなくなるといった現在行われている議論は、とるに足らないレベルです。