計算論的思考と人文・社会科学(5)~帰納法と演繹法をめぐる考察(14)

計算論的思考と人文・社会科学(5)

原典主義とバージョンアップ主義

前回、次のように書いたので、今回は、この問題を取り上げたいと思います。


第1は、人文・社会科学は歴史の波に耐えて生き残った学問なので、価値がある。古典を学習することは有益であるという指摘です。これは、エコシステムの交代を無視した主張なので、正しくありません。実際に生き残っている学問は、エコシステムの交代に適応しています。古いエコシステムのままでは、消滅します。この点は後で論じます。


 

ソフトウェアのバージョンアップ主義

ソフトウェアの場合には、機能が追加されたリ、仕様が変更されたりすれば、バージョンアップするのは、当然ですが、そうしたことがなくとも、OSが変化するとバージョンアップしないと不都合が生じます。つまり、計算論的思考では、ソフトウェアは、常に、バージョンアップされ続けるべきものです。

最近、データサイエンスで、人気のある言語はRとPythonです。理由はわかりませんが、この2つの言語は、文化が違います。

Rは、個人主義です。常に、最新のアルゴリズムを開発した人が、ライブラリを登録します。開発者は、2,3名です。最新のアルゴリズムがすぐに使える点は魅力ですが、個人主義なので、何かの都合で、開発者がドロップアウトしてしまうと、メンテナンス(バージョンアップ)されなくなります。類似の機能のライブラリが複数あることも多く、ライブラリの関数の引数の設定は、各ライブラリに任されていて、体系化されていません。

Pythonは、集団主義(チーム体制)です。ライブラリのサイズは大きく、10人以上のチームが開発しています。最新の手法が全て使える訳ではありませんが、できるだけ、新しい手法を順次取り入れるように努力されています。逆に、集団主義の要点は、個人がドロップアウトしても、それに関係なく、将来もメンテナンスされる可能性が高いこと、ライブラリの関数の引数の設定には統一性があり、1冊のマニュアルだけで、問題解決ができる点にあります。

昔は、Rをよく使っていたのですが、最近では、バージョンアップの確実性から、Pythonに目が行きます。

人文科学の原典主義

人文科学では、理由は不明ですが、理不尽なことに、原典主義が原則になっています。これは、力学を勉強するためには、ニュートンの「プリンキピア」を読むことに等しいです。しかし、自然科学では、原典主義はとりません。内容を正しく反映した、読みやすい教科書(つまりバージョンアップされた「プリンキピア」)を使うのが普通です。

シェイクスピアの戯曲は、古い英語で書かれています。しかし、実際に演じられるときには、現代英語に書き換えられます。また、シェイクスピアの戯曲は、実際に、演じられながら、手を加えられてつくられたため、一部で混乱があります。これは、例えば、戯曲の前半で、亡くなった人が、後半では、生きて活動するような問題です。以上の問題がありますので、シェイクスピアの場合には、バージョンアップ主義になっています。

このブログでは、風景写真も取り扱っています。今月は、「風立ちぬ」で、著名な、堀辰雄の山荘も扱いました(堀辰雄1412山荘(長野県軽井沢町)~つくば市とその周辺の風景写真案内(289)2021/1/17)。ついでに、久しぶりに「風立ちぬ」を読んでみたのですが、名作か否か以前の問題として、今、この小説をだしても売れないだろと思いました。「風立ちぬ」の舞台は、サナトリウムです。サナトリウムを書いた小説で、一番、著名な作品は、トーマス・マンの「魔の山」です。欧米の小説は、説明がくどいくらい書き込んでありますが、これは、時代を経ても読める点では、重要なポイントです。堀辰雄の「風立ちぬ」は、文体がその時代を感じさせるところがあり、それは、魅力でもありますが、時間がたつと違和感がでてきてしまいます。実際問題、「風立ちぬ」が現在でも、よく引き合いに出されるのは、ジブリがアニメにしたためと思います。この点では、バージョンアップが行われています。

ここでは、ハイデガーは、論理的にかかれた分厚い著書の代表として取り上げています。内容は問題にしていません。プログラムのコードであれば、ある分量以上になれば、必ずバグが入ります。バージョンアップはバグとりの過程でもあります。この経験からすれば、ハイデガーの「存在と時間」にバグが1つもないとは信じられません。多分、バグがあるはずです。原典主義の場合には、バグとりの手順はどうなるのでしょうか。

まとめ

バージョンアップは、古い内容を新しいエコシステムで利用するためには、必須の作業です。原典主義は、この点で、不合理で、エコシステムの交代に対応できません。宗教の聖典のように、一字一句を解釈することは馬鹿げています。計算論的思考をすれば、合理的なバージョンアップのできない学問は淘汰されるはずです。