トランプ政権の終了でフェィクは終わるか

アメリカでは、バイデン新大統領が、無事就任したようです。

旧トランプ政権では、フェィクニュースが流れたといわれています。

折角の機会なので、「大統領が変わって、フェイクニュース問題が終わるのか」を考えてみます。

日本で、古くから人気のある小説の分野に、戦国時代の大名を主人公にした、国盗りシリーズがあります。歴史ドラマでの、この時代を扱ったシリーズが多いことは、波乱万丈で、逆転があって面白いからと思われます。

戦国時代の国盗り小説では、戦国大名が、必ず失脚するパターンがあります。それは、側近をイエスマンで固めることです。そうすると、都合の悪い情報は入ってこなくなります。なぜなら、都合の悪い情報をトップに入れると、左遷されるからです。こうして、忖度がメインの側近集団が形成されます。そうなると、実際には、政策のミスをしていても、その情報は上がってこなくなります。企業で、欠陥隠しが組織内ではびこって、大きな問題を何度も繰り返した会社の場合には、こうしたカバナンスが働いていた可能性が高いです。郵貯の保険販売もおそらく、同じような構造になっていたと思われますので、親の省庁の方にも、類似の問題がある可能性も考える必要があります。

さて、話をトランプ政権に戻すと、トランプ大統領は、側近をイエスマンで固めていました。したがって、都合の悪い情報はあまり入らなくなっていたと思います。外からみると、トランプ大統領ツイッターはフェイクが多かったのですが、政権末期には、本人が、どの程度、客観的な情報を入手出来ていたか怪しいと思われます。

同様の問題は、中国にもあります。香港などで、反対勢力を強制的に排除すると、都合の悪い情報は入ってこなくなります。昔、毛沢東大躍進政策をした時に、農業生産が落ち込んで、飢餓が発生したのですが、毛沢東が、大躍進政策の効果を見るために、地方を遊説すると、麦畑には、麦が青々と実り、ポンプで、水が十分にかけられていたといわれています。もちろん、実体は違うのですが、実体がわかると、左遷されたり、投獄されるので、遊説先には、周辺から麦をかき集めて、植えたと言われています。ポンプは使えるものが1台しかなかったので、その1台を順番に遊説先に移動させて、使いまわしたと言われています。麦はびっしり生えて、その上に子供が座っている写真が、宣伝用に作られました。その写真をみて、社会主義になると、どうして、麦の単収があがるのかという点をまじめに論じた日本の著名な生態学者もいました。

米国では、トランプ大統領は、フェイクを垂れ流すとして、評判が悪かったですが、実は、評判が良いからといって、フェィクニュースをつかまされないとはいえません。ロバート・マクナマラは、ベスト・アンド・ブライテスト(the Best and the Brightest)と呼ばれる1960年代のアメリカ合衆国ケネディとそれを継いだジョンソン政権において安全保障政策を担当した閣僚および大統領補佐官たちの代表です。彼は、「最良の、最も聡明なはずの人々」であると思われていました。しかし、ベトナム戦争で失敗します。後で、分かったことは、ベトナム戦争の報告では、敵兵を何人殺害したかというデータがあがってくるのですが、これを合計するとベトナムの人口より多くなっていたそうです。つまり、いくら、ブライテストであっても、間違ったデータをつかまされると、間違った判断をしてしまうということです。

以上のように考えますと、フェイクニュースの問題は、根が深いので、トランプ政権ほど目立たないにしても、なくならないと思われます。フェイクニュースを避けるには、周辺をイエスマンで固めないことしか、手がありません。

ここで、日本の国政を考えると、1994年頃が転換点になっていると考えます。その原因の1つは、小選挙区制の採用と、政党政治の党首へ権力の集中にあります。

1994年(平成6年)6月30日から1995年(平成7年)8月8日まで村山内閣(むらやまないかく)が政権を担当します。このとき、社会党の党首が首相になったので、政策が大きく変化するのではないかという予想もありましたが、実際には、集団指導体制で、政策が大きく変わることはありませんでした。1994年頃までは、日本経済が成長していましたので、豊かなところで、稼いだお金を、貧しい地方に再配分する方法で、政治が廻っていました。しかし、自民党の基盤であった、農民の人口が減少し、農民票では、選挙に勝てなくなります。小選挙区制は、この問題を打破する方法であったと考えますが、実際には、社会のエコシステムが変化してしまったので、延命策では持ちませんでした。本来であれば、この時点で、新しい社会システムの展望を描くべきだったと考えますが、実際に起こったことは、小泉政権に代表されるが劇場型の政治でした。小泉政権以降は、集団指導体制がなくなってしまいます。官僚が政治家になることはなくなり、2世議員が主流になります。

図1をみると、1994年頃が分岐点であったことがわかります。

党首が暴走する傾向は、民主党政権でも変わりませんでした。その後の安倍政権、現在の菅政権でも、大きくは変わっていないと思います。イエスマンで周囲をかためると、都合の悪い情報は耳に入らなくなりますので、政策は暴走します。アベノマスクも集団指導体制ではあり得ない政策でした。温暖化対策やGo To事業も村山内閣までの、集団指導体制では、ありえなかった政策の変化速度です。

トランプ大統領が決めた政策の多くを、バイデン新大統領は、変更してもとに戻したようです。日本もアメリカのように、急アクセル、急ブレーキを踏まないようにしてもらいたいと感じます。

 

 

  • 飯田 健・上田路子・松林哲也 世襲議員の実証分析 選挙研究 26巻2号 2010年

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jaes/26/2/26_139/_pdf

 

 

f:id:computer_philosopher:20210121224009j:plain

図1 世襲議員の割合 (「世襲議員の実証分析」による)