懐古園(長野県小諸市)~つくば市とその周辺の風景写真案内(272)

懐古園(長野県小諸市

今回は、以前に撮影した小諸市小諸城址の写真を紹介します。小諸城址は、過去に、鉄道の開通によって、懐古園と大手門の2つに分断されています。今回は、メインの懐古園の紹介です。小諸城址のように、鉄道の開通によって分断された古い建造物群はかなりあります。たとえば、水戸の偕楽園もそうです。今から思うと、バブルのお金が十分にあったころにこれらを修復しておけばよかったと思いますが、その当時は、リゾート法ができて、お金儲けをしたい人が群がって、古い文化財はそっちのけで、リゾート開発をしました。その結果がどうなったかは、皆様、ご存じのとおりです。文化景観より、お金儲けを優先した結果、こうした残念な景観が残されていますが、今後、鉄道を移設するなどして、これらを修復する財政的な余裕はないと思われます。

写真1は、懐古園から見る千曲川です。懐古園から千曲川が見える場所は、ごく一部に限られています。

写真2は、写真1の撮影地点の近くにある千曲川旅情の歌石碑です。

写真3は、富士見展望台あるいは富士見台と呼ばれる展望台から見た富士山方面の景色です。この場所はもとは、遠見番所があったそうで、見張りが立っていたようです。

富士山の場所は、写真4に矢印で入れてあります。よほど晴れていなければみえないようです。

写真5は、小諸城 三之門です。江戸後期の1766年の建造で、三間櫓門、寄棟造、桟瓦葺に左右袖塀が附属しています。1993年に、重要文化財に指定されています。小諸城の遺構で、残っている建造物は、この三之門と次回に紹介する大手門だけです。というのは、1872年に土地建物の競売がおこなわれ、他の建築は、移設または解体されたからです。1880年に旧藩士たちが本丸御殿跡に神社を統合して、懐古園と呼ぶようになったそうです。1896年に上信越線により、小諸城址が分断されます。1926年に隈部親信小諸町長が小諸町大公園設計を発案、本多静六博士に基礎調査依頼をし、本多博士、池辺武人助手により『小諸公園(懐古園)設計案』が提出されます。その計画を基に小諸町は4か年計画三万円余を投じて約6万坪の公園整備が実施されます。つまり、三の門より城内の「懐古園」は、本多静六による設計であり、日本の造園史の一部になっています。写真5の右の小さな建物が入場券の販売所で、ここから内側が有料エリアになります。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E8%AB%B8%E5%9F%8E

https://rakutranavi.com/leisure/pdf/kaikoen.pdf

https://repository.nabunken.go.jp/dspace/bitstream/11177/6598/1/BB25180515_193_198.pdf

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%A4%9A%E9%9D%99%E5%85%AD

 

 

 

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写真1 懐古園千曲川をみる)

 

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写真2 懐古園千曲川旅情の歌石碑)

 

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写真3 懐古園(富士見展望台)

 

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写真4 懐古園(富士見展望台の富士山の位置)

 

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写真5 懐古園小諸城 三之門)