コロナ対策とデジタル教科書に見る科学技術立国の終わり(4)

1994年の分岐点(2)高等教育編

この項目は途中まで書いたのですが、内容が多すぎてまとまらなくなり、書き直しています。文章を書くときには、まず、箱の大きさを決めて、箱に入る内容を書くという基本訓練に戻ることになりました。

「コロナ対策とデジタル教科書に見る科学技術立国の終わり」の話の流れは、以下です。

第1回:コロナ対策の科学技術レベルを3つの面で見ましたが、とても科学技術立国とは言えない状態になっていると冷静に判断すべきでしょう。

第2回:政府主導で、補助金をばらまいて、温暖化技術を開発するという技術開発に関する発想は、完全に時代遅れです。これでは、バブルのころの技術開発の失敗を繰り返すだけです。結局は、新しい技術や産業を興すのは人です。人を育てることが全ての基本になければ成功は覚束きません。

第3回:1994年の分岐後に世界の義務教育で起こった変化は、PCとインターネットが普及して、データサイエンスの進歩を促し、その成果をつかった教育評価がなされ、教育の効率化が進んだということです。そこでは、教育の費用対便益が問題にされています。

さて、今回は高等教育の問題を取り上げます。1994年が分岐点になった高等教育の問題は、非常に多くて、それを書いていたら、前回以上に収拾がつかなくなったので、もっとも重要なポイントを1つだけあげることにします。それは、学問のdisciplineが変わってしまったということです。1994年は実質的には、インターネットとパソコンの始まった時代です。1994年以前に、一人前の研究者になるために必要な教養(discipline、研究方法)はおよそ次でした。

  • 人文科学:語学

  • 社会科学:語学、経済学は数学も

  • 自然科学:英語が共通。物理学、工学は:物理学と応用数学

語学というのは、外国語を読み書きできること、母国語で、論理的に考えて、書くことができる能力を指します。

物理学や工学では、物理学と応用数学が必要でしたが、問題を数式に表現しても、実際に方程式が解けるのは、単純化の仮定が当てはまる場合だけで、全体の10%以下でした。1988年のノーベル物理学賞が計算物理学の業績に与えられました。そこで、富岳のようなスパコンがあれば、ノーベル賞がとれる時代になったと皆が驚いたものです。1990年頃のスパコンの性能は、現在のスマホ以下です。現在は、問題を数式に表現すれば、実際に方程式の9割以上が解けます。あなたが、スマホでゲームに使っている計算機資源は、1988年のノーベル賞の研究よりずっと大きいのです。計算機資源が安価に大量に使えるようになって、古いdisciplineが全く使えなくなった分野が統計学であり、データサイエンスです。

データサイエンスは、データを扱う学問であれば、どの分野でも利用可能です。物理学や応用数学より、適用可能範囲が広いのです。そして、およそ、学問と名の付くもので、データを扱わない学問はありませんので、データサイエンスは全ての分野に共通するdisciplineになります。大学に、データサイエンス学部を作れば、他の学部、学科は関係ないとはならないのです。

データサイエンスに含めることもありますが、同じように、コンピュータを使って分析をするのであれば、計算論的思考も共通のdisciplineになります。これは、プログラミング教育に歪曲化されていますが、簡単に言えば、解決可能な問題はデータとアルゴリズムでできているという信念です。正しい答えが得られない場合には、このどちらかが間違っているはずであると考えます。コロナウィルスで、問題が解決されておらず、それが、解決可能な場合であれば、問題がまだ解けないのは、データが足りないか、アルゴリズム(手順)が不適切かのいずれかが原因であると考えます。

さらに、必須かどうかはわかりませんが、非常に広い範囲に影響を与えている学問に、脳科学認知科学があります。たとえば、人文科学では、フロイトは名士かもしれませんが、認知科学では、過去にさかのぼって記憶をたどると、本人が気づかない範囲で、記憶は簡単に捏造されるという事実が確認されています。認知科学は、過去の話をヒアリングするのであれば、せいぜい1週間まえくらいまでが信頼できる限界だろうと言います。認知科学者は、フロイトは学問ではなく、オカルトであると判断しています。人文科学では、手法としてオーラルヒストリーを採用している人もまだいますが、当然ですが、認知科学は、オーラルヒストリーは客観的なデータとは認めていません。認知科学がオーラルヒストリーを使う場合は、記憶が捏造される過程をたどることで、主観が計測できないかという視点です。

数学の分野では過去にゲーデル不完全性定理が出て学問の正当性に疑問を突きつけました。

データサイエンス、計算論的思考、認知科学は、(他にもあるかもしれませんが)、学問分野別のdisciplineを破壊してしまいました。特に、認知科学の導き出した言葉を不用意に深追いすべきではないというルールは、不完全性定理のようにアリストテレス以来の2000年続いたdisciplineに終止符を打ってしまいました。

第4回のまとめは、1994年の分岐点における高等教育の最大の課題は、学問のdisciplineが変わってしまったということで、日本は、今だ、新しいdisciplineに対応できているところがほとんどない、取り残されてしまったということです。

蛇足ですが、学術会議の縦割りは古いdisciplineそのものですし、研究者のポストとして、大学は魅力が減少して、IT企業の研究者になっている著名な学者が多くいます。例をあげれば、Google社のチーフ・エコノミスをしているハル・ヴァリアンもそうした一人です。