デジタル教科書とクラウド・エデュケーション(3)

学校教育の機能

クラウド・エデュケーション・システムを設計する前に、学校教育の機能を考えます。

学校教育には、教材を準備し、講義するなどの教育内容を提供する機能がありますが、筆者は、その機能にあまり価値があるとは思いません。教育内容を提供する機能には、教材の購入費以外に、学習時間の確保も含まれます。学習時間の確保は、途上国では、子供は労働力なので、学習よりも労働に時間を割く親もいますので、学校に行くことは、学習時間の確保につながります。日本では、学校がないと、友達と遊んでしまうので、皆がそろって授業をしていることには価値があるかもしれません。もっとも、この点は、夏休みに学習が進む子供と、進まない子供で大きく違うように思われます。

この友達の機能は、非常に大きく、また難しい点を含んでいます。例えば、名だたる進学校に入学できた場合の最大のメリットは、友達が勉強ができることです。これは、自分にあった効率的な学習方法を探索するうえでは、大きな機能です。先生の講義が上手か下手かは、これに比べれば2次的なものにすぎません。というのは、先生の講義の欠点は参考書を読むなり、友だちに疑問点を聞くなりして補うことができるからです。

江度時代に西洋の学問を習得するためには、オランダ語を学ぶ必要がありました。しかし、そのころの教材には、音声データはありませんし、書籍も非常に効果で書き写す必要がありました。しかし、そのことが学習の障害にはならなかったのです。友だち、あるいは先輩の大きな効果は、モチベーションがつくことです。学習に関する情報交換ができれば、教材の良し悪しは2の次です。

2種類の学生と2種類のシステム

以前、ある大学の先生に、「近頃の学生はどうですか」と聞いたことがあります。お答は、「できる学生は、何も教えなくとも、自分でどんどん勉強する。できない学生は、一生懸命教えても、ちっとも理解できない。結局、教員がいても、いなくとも、学習効果に差はない。」というものでした。

大学を例に考えます。

一般に、教育システムを設計する場合には、この2種類の学生が前提になります。つまり、できる学生用のシステムと、できない学生向けのシステムを分けて設計することが基本になります。

できる学生向けのシステムは、教材と問題集を提示して、到達度試験をすれば終わりです。オンラインも含めて授業の出席管理システムは、どうでもよいです。試験や演習レポートができていれば、出席数が少なくても、教育内容として問題ありません。

できない学生向けのシステムは、複雑です。まず、到達度試験をすれば、落第する学生が多数出ます。日本以外の国の大学はこれでよいのですが、日本の文部科学省は、落第や、留年が多く出ると、補助金を減らすといいますから、これはできません。しかし、高等学校で、既に、到達度試験をすれば落第するレベルの学生を多数、卒業させています。そこで、大学の授業の内容のレベルを学生に合わせて下げると、今度は、文部科学省から、大学としては授業のレベルが低すぎるとクレームが付きます。また、出席をとって、これを2/3以上クリアしないとクレームが付きます。授業のコマ数を減らしてもクレームが付きます。要するに、学生が理解していることはあり得ないので、外形で大学の授業をそろえろといわんばかりの指示です。これらの支持をクリアすることは数学的には不可能問題だと思いますが、人間がマニュアルで行う場合には、相互チェックがおこなわれませんので、部分的に破綻していますが、なんとかします。これを、システム化すると、ごまかしがきかなくなります。もっとも、できない学生ほど何とかしろといいますので、それは、システムの問題で、教員には裁量がないといえば済むので、無駄な労力を使わないだけ良いとはいえます。もっとも、文部科学省がごまかしのきかないシステム(つまり落第多発システム)を受け入れてくれるかは、事前に調整する必要があります。

以上のように、デジタル教科書問題でも、多くの場合に、議論されているのは、できない学生向けのシステムの在り方です。

大学を離れて、義務教育を含めても同様の問題があります。

学生の数からいえば、できない学生の方が、できる学生よりも多いです。しかし、できない学生向けのシステムを設計するのは、システムの仕様設計が決められないので難しいです。簡単に言えば、学習内容を理解することなく、卒業証書が手に入るため、学習せずに、卒業証書だけが欲しいという学生がいることです。これは、現実に、学習内容を理解せずに、卒業証書を手に入れている人がいること、このような怪しい卒業証書が効力を持つ、日本の社会システムがあるということです(注1)。これは、デジタル教科書や、クラウド・エデュケーション以前の問題です。この問題を整理せずに、デジタル教科書の問題を論じても意味がないので、次回は、できる学生向けのシステムに限って、検討を進めます。

注1:

このフレームは、卒業証書を取りやすくするために、カリキュラムの内容を落とす方向に、カリキュラム変更を進めました。基礎XXという中学校と同じレベルの高等学校の科目はその一例です。また、得意、不得意に関係なく、必要であれば、時間をかけても、知識を習得するのが基本的な学習態度ですが、これとは、逆に、不得意なものは習得しなくともよいという学習態度を是とする方向に社会が動きました。文系であれば、数学は不要であるとか、銀行が、金融工学の知識を内製化できなかったりするのはこの表れです。現在、日本の銀行では、自社で、まともは資産運用ができず、海外の資産運用会社のシステムを仲介しているだけです。1990年代に金融工学が出てきたときに、直ぐに対応できなかったことは致し方ないとしても、30年たっても、金融工学を内製化できなかったことは致命的な組織管理です。デジカメメーカーも、現像ソフトや画像ICを内製化できていないところが多く、デジカメメーカーがつぶれる要因になっています。逆に、電気自動車のテスラは現在、外製化している部品で、コアなものは内製化する方向を検討しています。