ポスト民主主義とITの神様

エマニュエル・トッドを始め、多くの識者は、たぶん、トランプ現象の影響も大きいのでしょうが、民主主義は、限界に達しているか、半ば終わっていると考えています。民主主義は、自分のことは自分で決めるという自由意志をもった個人の集合体の上に成り立つ制度です。ただし、自由については、次の問題があります。

第1は、自由意志は存在しないという見解です。これは、腕を動かすときに、脳のシグナルと筋肉の電位をしらべると、脳のシグナルが、筋肉の電位より後で観測されるという事実です。つまり、腕が動いたあとで、腕を動かそうとする脳のシグナルが発生したのだから、腕の運動が先にあって、後追いで、自分は腕を動かそうと考えたと理由付けしている訳です。しかし、自由意志が、脳内演算であると限定しても問題はないので、筋肉の運動が本質的な問題にはならないと考えます。

第2は、自由意志は、楽しくないか、しんどいということです。これは、古くは、エーリッヒ・フロムの提示した問題ですが、カーネマン流に考えれば、わかりやすいです。自由意志にはスロー回路を使うべきなのですが、これは、きついのでファスト回路を使うことが多くなります。典型的には、去年と同じ政党に投票する方法ですが、去年と同じ方法で投票することも、ファスト回路になります。この去年使った方法に、自分の好みの人に同調する方法が入ります。実際に、米国の大統領選挙では、著名なタレントが、支持する候補者を公表しますが、これは、ファスト回路で投票することを期待しての行動と思われます。すべての自由意志を、スロー回路で行うことは、不可能なので、ファスト回路を使った意思決定がはいることは必須ですが、意思決定をどの部分でスロー回路を使うべきかは大きな問題です。コロナウィルスに対する反応で、日本人は同調圧力に順応しやすいといわれています。これも、ひな形になる行動が、在宅から外出に切り替われば、皆が外出するわけで、自由意志のレベルの問われる問題になります。

第3は生理的な反応です。これは、蛇が怖いといった理屈の前に体が動くような反応で、そこでは、自由意志があるのかわかりません。ただし、トランプ大統領は生理的に受けつけないといった拡大解釈もあり、線引きは難しいところです。

さて、ポスト民主主義の自由意志の姿はわかりませんが、過去の状態は調べることができます。人間の自由意志は、西洋ではルネッサンスで出てきたといわれています。それまでは、自由意志の存在そのものが、考えられないものでした。世界は神の予定調和で動いているので、個人の意思というものは問題にならなかったわけです。神の意志を正しく理解することで、神の意志に従った行動をしないと、問題が発生すると考えます。これは一神教に共通する考え方です。現在では、科学が成功をおさめた結果、神の意志の絶対性を確信する人は減りつつありますが、コロナウィルスの感染でも、イタリアでは、これは神の意志の表れであるとして、対応した神父さんがいたそうです。この場合には、治療することが神の意志に沿っているのかという点から、検討が始まります。コロナウィルスの感染で、一部の宗教では信者が減ったともいわれていますが、イスラム教などでは、宗教が政治より優先している場合が依然としてありますので、どこまでを民主主義と呼べるのか、線引きが難しいところもあります。

前置きが長くなりましたが、問題は、IT のレコメンデーション機能です。自分がどの商品を買おうかと迷っている(自由意志を発揮する)ときに、良さそうな商品がレコメンデーションされます。つまり、私が私の気持ち(自由意志)を確認しようとするときに、ITが私より先に、私の気持ちを推察してくれます。こうなると、商品を選択したのは、自由意志によるのか、ITにそそのかされたのかは判別できません。ファスト回路による意思決定は、ヒューリスティックのようにあるモデルをコピーすることで成立します。たとえば、外食するときに、ゼロからレストランの選択をするのは、スロー回路でしんどいです。過去に行ったレストランのA、B、Cのどれにしようかという選択は、ファスト回路で済みます。この時にも、昨日行ったレストランAに必ず繰り返して行く人は少なく、A、B、Cなどの数軒から選択します。こうした場合に、私のセンスで選択するよりも、リコメンデーションで選択する方が、満足度の期待値が大きくなります。つまり、困ったら、考えるより、レコメンデーションにしたがった方が良いのです。これは、別に、レコメンデーションを非難しているわけではありません。ITはレストランのデータを継続して収集していますから、例えば、最近Cレストランは、コックさんが入れ替わって評価が落ちているという情報を持っていれば、それも、レコメンデーションに反映させます。個人の体験は、前に、Cレストランに行った時は、おいしかったという情報だけですから、これで判断したら、ITには勝てないわけです。

肩肘を張って、まずいレストランを選ぶことが自由意志であるということはできますが、満足度が落ちてしまいます。同じ予算と時間を使って、わざわざ低い満足度を選択することは、ふつうは人生の過ごし方としては選択する人はすくないと思います。食事の味よりも、自分で選択できることが人生で最大の楽しみであるというエピキュリアン以外は、この誘惑に勝つことはむずかしでしょう。こうなりますと、中世の神に変わって、ITがあなたを気持ちを察して、つらい自由意志から解放してくれる(=あなたを支配する)世界が出現するわけです。