非暴力主義の源泉

米国の大統領選挙の結果がもうすぐ、分かってくると思います。暴動に対して、トランプ大統領は力で押さえつける政策をとっています。バイデン候補の暴動に対する対策が今ひとつはっきりしないのですが、今回は、反政府的的な行動に対する政府の対策を整理しておきたいと思います。

民主主義では、言論の自由がありますから、反政府的な発言をしたからといって、そのために、投獄されることはないルールになっています。とはいえ、反政府的な発言をすることが、金銭的に得かどうかは別の話です。忖度が蔓延していることからわかるように、反政府的な発言をすることは、一般には、得策ではありません。ただし、発言の多様性がなくなると、政権交代に対する安全弁がなくなってしまいます。このために、例えば、フランスでは、言論の自由を強く主張しています。

さて、反政府的な発言が、発言に留まればよいのですが、エスカレートして、暴力になることがあります。この場合には、政府(権力)は軍事力をもって制圧します。この線引きは難しいですが、いずれにしても政権は、暴力は鎮圧します。

この場合に、反政府勢力が、言論のみにとどまるのか、暴力にまで発展するのかの見極めがポイントになります。非暴力主義を貫いた例には、キング牧師ガンジーがあげられるでしょう。こうした場合の評価は非暴力主義を貫いた偉人ということになるのですが、見方を変えてみれば、「暴力主義」と「非暴力主義」を天秤にかけた場合に、後者の方がメリットが大きかったとも考えられます。つまり、「非暴力主義の源泉」には費用対便益で説明できる部分があると思います。それは、反政府勢力が、将来、政権を取ったり、主流派になった場合の便益です。反政府勢力が仮に、「暴力主義」をとって、後に政権についた場合には、その時点での、別の反政府勢力の「暴力主義」を否定することは困難になります。なぜなら、政権を取る方法が「暴力主義」であったとすれば、政権を取った後で、別の反政府勢力の「暴力主義」を否定することは自己否定につながるからです。ですから、実際には、軍事力や暴力で政権をとったとしても、そのことは、表に出さずに、政権の正統性を別の方法で持ち出すことが普通です。独裁政権で、軍事力で政権をとったのが実態であれば、別に選挙をしなくともよいようにおもわれますが、そうすると、政権の正統性は暴力にしかないことになってしまい、反政府勢力から軍事力を取り除くことが困難になります。このため、どんなに不正があっても選挙がなされることが多いのです。また、日本の場合には、鎌倉時代以降は、軍事力で政権を取っているのですが、形式的には、天皇家の承認があったという形をとります。

このことは逆に考えると、政権を取ったり、主流派になる可能性のない反政府勢力は暴力に走りやすいことを意味します。これは、過激派と呼ばれるグループの存在を考えれば、自明と思われます。

以上をまとめますと、次のようになります。

将来、政権を取ったり、主流派になることを想定している反政府勢力は、「暴力主義」に陥るリスクが低い。少なくとも、実際には、「暴力主義」であっても、形式的には、暴力以外の正当性を備えることが多い。

ところで、厄介なことにこの公式が当てはまらない場合があります、それは、「易姓革命論」を使っている国です。このタイプの国では、政権の正統性は暴力によってしか担保されないと考えますので、反政府勢力には、「非暴力主義」を貫く便益がありません。また、政権もそのことを知っていますので、徹底的に弾圧をします。人権主義からすればとんでもないことですが、こうした国では、弾圧が行われる反面、非暴力の反政府勢力も発生しないと思われます。