トリクルダウン効果はあるか(1)

はじめに

経済発展と平等性の議論では、トリクルダウン仮説が議論になります。トリクルダウン仮説とは、一部の人がお金持ちになれば、そこから、お金が周辺に流れ落ちて、社会が全体として豊かになるという仮説です。つまり、平等性をあまり気にせず、豊かになれる人から、豊かになっていけば、社会全体が時間遅れはあるものの豊かになれるという仮説です。経済発展では、皆が同時に豊かになれれば、理想ですが、実際にはうまくいきません。平等性を重視した社会主義経済は、ソ連でも、中国でも行き詰りました。中国の経済発展は、株式会社をみとめ、個人の資産運用を認めた時期と重なります。

一方では、米国の資産の50%は、50人の富裕層が、株式の50%を取得することで成り立っているともいわれます。米国でも、日本でも、1990年以降の統計を見れば、貧富の差が拡大しています。この問題は、ピケティが構造的な問題であると指摘し、ほうっておけば貧富の差は拡大するので、課税等で調整する必要があると主張しました。つまり、トリクルダウン仮説は、成り立っていないという疑問がだされています。

筆者は、この問題には、3つの側面があると考えています。

第1は、資産の分布の実態です。トルクダウンしやすい資産としにくい資産があると思います。例えば、バブル前の日本では、資産の増加は、土地の値上がりで、引き起こされました。しかし、土地の値上がりは、新しい産業や雇用を生み出しませんので、トリクルダウンにはなりにくいです。

第2は、トルクダウンは起こっても、その範囲は、無制限ではなく、限定的であることです。これは、課税によらなければ、トリクルダウンは主に、富裕層の接触範囲に限定されるために起こる問題です。富裕層に対する課税は、選挙対策にはなるかもしれませんが、数が少ないため、税収に対する影響は限定的です。つまり、課税によるトリクルダウンも、また期待できません。

第3は、平等性の維持システムの問題です。ソ連や旧中国は生産手段の共有化を図った結果、極端な生産性の低下を招きます。しかし、ある程度の生産性を維持した共有化は過去の歴史を見れば可能と思われます。つまり、共有と私有の2分法ではなく、コモンズの設計法は他にもあるという問題です。

これらの点について、次回からより、詳細に考えてみます。