WFP(国連世界食糧計画)の出口戦略

WFPノーベル平和賞を受賞しました。

しかし、全ての援助の最大の問題は出口戦略です。これはWFPなどの組織のレベルだでけでなく、個人のレベルでも同じと思われます。学術会議のことが話題になっていますが、研究助成金でも同じです。研究助成金を一度もらうと、研究助成金無しの研究が耐えがたくなります。そうすると、研究すべき課題ではなく、研究費が付きやすい課題を研究するようになります。こうした課題は、研究がかなり進んで、見通しがついている改良型の課題になるか、災害の後の防災の課題のようにはやりものの課題になります。例えば、コロナウィルスが社会問題になれば、コロナウィルス対策の課題に研究費が付きやすくなります。これは、状況を見ていれば判断できるので、早めに準備します。災害の場合には、津波、高潮、火山、洪水など種類が限られていて、被災した後には研究費が付きやすくなりますので、常日頃から、災害毎の研究費の申請や、組織の申請のための下書きを作成しておいて机の引き出しにいれて温めておきます。そして、災害が起こったら、一番乗りを目指します。チーム型の研究の場合には、最低でも数人の研究者のチームを組む必要がありますので、事前に調整しておけば他のチームより有利になります。しかしながら、このような研究からは、今までの研究を乗り越えるような成果はでません。つまり、研究助成金をばらまくことで、研究が小粒になってしまいます。研究評価ができるということは、通説の追試になっているということで、通説を覆すような研究には、研究助成金はつきません。

さて、話をWFPに戻します。食料の緊急援助は劇薬です。これは、発展途上国に限りません。1990年頃までは中国が解放政策をしていなかったので、野菜の輸入はごく一部で、9割以上が国産でした。その頃の野菜は、生産過剰と値崩れを繰り返していました。供給が3割過剰になると価格は半値、3割不足になると価格は2倍になるといわれたり、十一(といち)といわれたりしました。十一とは、野菜は10年作って本当に儲かるのは1年だけ、でもその1年で十分に元が取れるという意味です。現在では、輸入野菜が普通になって十一はおこりません。食料の無償援助をすると短期的には、飢餓をすくうことはできます。しかし、無償援助は大規模に行われると農産物市場を破壊してしまいます。皮肉なことに、飢餓の程度が低く、食料不足が限定的な時には、副作用は小さいのですが、飢餓の程度が大きく、食料不足が蔓延してくると、援助の効果が絶大な一方で、副作用も大きくなります。無償食糧援助が毎年継続的に行われるようになると、農産物市場の破壊がすすみます。特に、貧困層向けの安価な食糧の生産や市場が毀損されます。

WFPやFAOは基本的には、飢餓は食料の需要と供給のバランスの崩れが原因であるというFAD(food availability decline)理論の立場をとっていますが、この仮説は検証されていません。アマルティア・センは、飢餓は食料の配分のアンバランスが原因であり、需給バランスではないという実証研究をしています。内戦などで、ロジスティックが破壊されと飢餓がおこります。食料の需給バランスは、ロジスティックやアクセスの可能性(センはエンタイトルメントentitlementといいます)によって、空間的に大きなアンバランスが生じ、その中で、食料の不足が生じる空間で飢餓が発生するという立場です。広域的には需給バランスは意味がないという立場です。

話を戻します。WFPに限りませんが全ての援助や補助金は、いつかは、援助や補助がなくなるべきで、そのための出口戦略が問われます。最終出口では、援助が不要になると、WFPの組織が不要になります。これが最も望ましい状態です。これは、WFPが良いとか、悪いとかいう意味ではなく、理論的に、適切な出口戦略が可能かという一般的な問題が存在するということです。