アリとキリギリスでは、冬にそなえて現在を我慢するとも読めます。つまり、キリギリスが、「いつもの行動を繰り返す」のに対して、アリは、「冬になるとどうなるのかというシミュレーションを頭のなかで行って、その結果に基づいて、行動を変容して、食糧を備蓄する」わけです。
子供の忍耐力をテストするマシュマロテストというものがあります。マシュマロをおいて、今食べてもいいし、ある時間食べなければ、量を増やしてあげるといって、子供とマシュマロを置いておきます。マシュマロを食べないで我慢できるか否かのテストです。我慢できる子供は少数で、我慢する間は、マシュマロ以外のことを考える傾向が分かっています。これも「マシュマロを食べる」=「いつもの行動を繰り返す」、「マシュマロを我慢して食べない」=「シミュレーションに基づいて行動する」と考えると、アリとキリギリスに似ています。
プロイセンの政治家のビスマルクは、「愚者は体験に学び、賢者は歴史に学ぶ」といいましたが、これも、行動変容でみれば、「体験に学ぶ」=「今までの行動を繰り返す」、「歴史に学ぶ」=「シミュレーションに基づき行動を変える」と読み替えれば、アリとキリギリスと同じパターンになります。
カーネマンは、人間の行動を、ヒューリスティックに基づくものと思考に基づくものに分けています。これも、「ヒューリスティックに基づく行動」=「今までの行動を繰り返す」、「思考に基づく行動」=「シミュレーションに基づき行動を変える」と読み替えれば、アリとキリギリスと同じパターンになります。
ちなみに、行動の9割はヒューリスティックに基づくと考えられています。記憶のパターンで言えば、「ヒューリスティック=操作記憶」、「思考=意味記憶」になると思われます。
以上から、「今までの行動を繰り返す」と「シミュレーションに基づき行動を変える」では、後者が各段に難しいことは確かです。
「今までの行動を繰り返す」を「シミュレーションに基づき行動を変える」に切り替えることは可能かが課題になります。それができないと、問題の先送りがなくなりません。
第1は教育の問題であるとする見方です。
エマニュエル・トッドは、民主主義の前提に、普及した中等教育と政策が議論できる条件があったが、高等教育の普及と共に、格差が拡大して、民主主義が失われたと考えます。
トッドは適切な教育によって、民主主義が維持できていたと考えている点がポイントです。
第2の考えかたは、認知バイアスが原因であるとする見方です。「今までの行動を繰り返す」原因が認知バイアスにあるのならば、認知バイアスの起こりにくい情報提供の仕方を工夫することで、問題解決が可能です。今回のタイトルは、バイアスとして考えられないかという視点を表しています。もし、この視点が正しいのであれば、温暖化対策では、認知バイアスをキャンセルできるような情報提供が出来なければ問題解決はおぼつかなくなります。
ただし、人間には自己肯定の性質があります。
「今までの行動を繰り返す」=>「自分の行動が正しいと確信する」=>「今までの行動を繰り返す」
自己肯定では、上記のループが繰り返されます。常に自己批判をして行動を修正している人以外では、これを打破することは難しいです。
第3にカーネマンのような、脳の性質として、切り替えは困難な課題であるという見方もあります。トレーニングを積めば、一部の人は出来るようになりますが、誰でもできるようにはならないとする見方です。第3が正しい可能性もありますが、その場合には、民主主義が不可能になってしまうので、とりあえずは、認知バイアスの課題として、考える必要があります。