権力の構造

独裁政権が長続きしない訳ではない

北朝鮮がひどい独裁政権であると批判するマスコミは多いですが、現存する独裁政権の中では、かなり長命な政権になっています。中国や、ロシアもトップの世代交代が止まって、独裁政権に近づいています。

歴史を紐解けば、徳川幕府は260年続きましたし、東ローマ帝国は1000年以上続いています。

独裁政権が長続きしないというエビデンスはありません。

そもそも、歴史的にみれば、独裁でない民主主義政権は、フランス革命(1789年5月5日 – 1799年11月9日)、アメリカ合衆国独立(1776年)以降のことです。英国の評価が難しいのでパスすれば、世界で民主主義政権が出始めて、200年ちょっとというとことです。

権力の根源

筆者は、権力ができる根源は、集団形成にあると考えています。進化の過程で、人類は他の危険な動物と戦うために、集団戦術を編み出します。言葉は、このころにできたと考えられてます。権力はグループを作ることにより成立します。グループは支配グループと被支配グループに分かれます。支配グループの中にはヒエラルキーがあります。いったん、支配グループに入ると、被支配グループからの搾取が可能になります。搾取の大きさは支配グループの序列で決まります。支配グループの中で、内乱が起こらないように、分割統治をして、お互いが協力しないようにします。有名な例は、イギリスのインド支配で、イスラム教徒の兵隊とヒンズー教徒の兵隊を仲たがいさせて、協力して反乱しないように仕組んだ方法です。イスラム教徒とヒンズー教徒の兵隊は、イギリス人に比べれば末席ですが、支配者階級に属します。ですから、兵隊でいるメリットはあります。支配者階級の成員でいる場合には、一番恐れることは、その特権的な地位を失うことです。支配者階級の成員が支配者階級を追放されると、粛清されたりします。粛清が起こると支配者階級の構成員は忠誠を示して、自分が村八分にならないように注意します。こうして、独裁権力は安定します。人間は進化の過程で、グループの政治学を学習していますので、一部は、DNAに組み込まれていると思います。

いじめが起こる原因も集団の力学で、いじめに参加することは、いじめる側の集団に属していることの忠誠心の表れです。いじめに参加しないで、村八分になると、今度は、自分がいじめられる側の集団の構成員になってしまいます。そのリスクを避けるためには、集団への忠誠心をして、いじめに参加します。

ミルグラムアイヒマン実験もおなじで、自分が加害者側にいれば、忠誠心をしめして、村八分になって、被害者側に転落するリスクを避ける方が賢明と判断しています。

権力の根源は、自分が支配者グループに属しているという特権を失いたくないために、忠誠心が生ずるところにあります。こうした力学が生ずると、倫理的な判断は行われません。

マルクスは、資本家は労働者を搾取しているといいましたが、資本家を追放しても、支配者グループと被支配者グループが存在する限り、搾取はなくなりません。

民主主義

倫理的な問題をクリアするためには、支配者グループの固定化を避けるしか方法がありません。いつ支配グループから、被支配グループに立場が変わるかもしれないとすれば、倫理的な政治が行われるだろうと考えるわけです。

独裁政権を避けるために開発された民主主義では、支配者グループは選挙で選出されます。米国の大統領が任期が2期までであるのも、支配者グループの固定化をさける仕組みです。政権政党が入れ替わらなかったり、2世議員がでてくることは、民主主義の本来の仕組みでは、できれば、避けたい事態です。このような場合には、倫理よりも忠誠心が幅を利かせます。実際に、民主党が政権をとったときには、自民党施策の評価と見直しが行われました。その方法はあまりに、稚拙で問題が多かったとはおもわれますが、政権が自民党に戻ると、逆に施策の評価はほとんど行われなくなります。評価が行われないのは、忠誠心が幅を利かせて、倫理が後退している事実を表しています。PCDAサイクルのC(Check=評価)が弱くなりまわらなくなります。つまり、民主主義がうまく機能していないことを示しています。

技術革新と独裁

民主主義の場合には、被支配グループは税を納めれば、それ以上搾取されることはないので、ある程度は好き勝手に行動します。

一方、中国は、独裁的な体制です。納税以外が自由ではなく、反体制的な活動はできません。人は、無制限に搾取される可能性のある時には努力しません。中国では、IT技術が進んでいますが、IT技術が出来れば、破格の高い給与がもらえ、搾取されない保証がないと努力は進みません。実際にIT化は進んでいますから、匙加減がうまくいっていると思われます。ただし、技術が方向転換する場合には、うまく追従できるかはわりません。

民主主義のばらばらなやり方は、効率は悪いですが、変化には強いです。やってみなければわからないことをくりかえしますので、変化に強くなります。最近は日本でも、成果が出やすい研究でないと予算獲得ができなくなっています。こうなると、結果が見える改良型の研究が多くなり、変化に弱くなります。予算は取りやすいですが、このタイプの研究をやっていて楽しいかは別です。結果が分からないときのわくわく感はないと思われます。