あるピアニストの二度目の死

レオン・フライシャーの死

ピアニストのレオン・フライシャーが亡くなりました。

ある曲について、最初にきいた演奏が、演奏を評価する基準になってしまい、その演奏を評価することができなくなってしまうことがあるとはよく言われれます。筆者にとっては、レオン・フライシャーとセルのグリーグのピアノ協奏曲がそうでした。完全なバランスと響き、抑制されてはいるが、豊かな歌、今でも、この演奏を取り出して聞くことがあります。その後、演奏はより大きな表情を付けることがロマンチックであるとして、こうした抑制をとった表現は使われなくますが、グリーグの場合には、構成がさほど強くないので、表現の幅を広げると、曲の弱さが見えてしまいます。フライシャーとセルの演奏を聴くと、この曲がまぎれもない古典の名曲に聞こえます。

フライシャーは32歳で、右手が故障して、ウィットゲンシュタインと同じように、左手のピアニストになってしまいます。実質的には、ピアニスト、フライシャーはこの時点で死んだのです。フライシャーの活動は、教育や指揮を中心にしたものになります。

それが、今世紀に入って、ボトックス治療が効果を奏して、右手も動くようになります。再度、右手が動くようになったときは70代を超えていました。治療効果があったとしても、完全ではないし、年齢も年齢だから、指が自由に動くわけではありません。それでも、たどたどしく、両手で演奏した曲には、音楽を演奏できることの喜びがあふれていました。このころのフライシャー演奏以上に、演奏者が音楽を演奏できることの喜びをかみしめて演奏し、聞いている人にもその喜びが伝わってくる例は他に思い浮かびません。

おそらく、晩年のフライシャーの両手の演奏は、多くの困難に立向かっている人に、勇気を与えたのではないかと思います。音楽療法ではありませんが、音楽の持つ力を考えるとき、晩年のフライシャーの演奏が思い出されます。

レオン・フライシャー、勇気をありがとう。