実在と計算論的思考

実在とは何かということは、なぜか、哲学者の大好きなテーマで、引用の例にとどまらず、膨大な議論が繰り返されています。計算論的思考は、こうした答えが出ない問題は、通常は、問題設定か、解決の方法論上の欠陥であると考えるでしょう。そもそも、Aが見える、Aの音が聞こえるといったセンサーレベルで判断できない問題を提起しても、エビデンスがないので、時間の無駄とも思われます。しかし、Aがあるという概念は実生活上でも、例えば、Aさんが生きている間は法律の適用を受けますが、Aさんがなくなってしまうと、適用外になるように広くつかわれています。あるいは、ホテルで満室ですというときにも、宿泊者が実在するという整理がなされています。そこで、この問題を考えてみます。

実在と言語表記

実在を論ずるときには、「Aがある」という形式をとります。

  • コップの場合

    基本命題「コップがある」

  対比命題「コップがない」

テーブルの上に、コップがある場合と、コップがない場合は実際に観測可能ですから、観測手法は、デジカメでも、LiDARでも何でもよいですが、これは検証可能です。ここでは、観測値が得られれば、実在が検証できるという素朴な(単純な)前提をおきます。

  • 太陽の場合

    基本命題「太陽がある」

    対比命題「太陽がない」

この場合には、「太陽がある」は観測可能ですが、「太陽がない」は筆者が生きている間に観測することは困難に思われます。ただし、筆者は生きている時間は、筆者の認識に影響しますが、ここでは、より普遍的な枠組みで寿命に関係しない条件で考えることにします(注1:)。そうすると、さしあたり、思考実験で検証性が担保されるようであれば、よしとしましょう。

  • 重力の場合

基本命題「重力がある」

対比命題「重力がない」

この場合には、問題はより複雑になります。

  1. 重力は質量をもった物体ではありません。ですから、究極の質量を観測することでは検証できません。いわば、「正義がある」といったレベルと同じ困難を抱えています。しかし、重力の存在は、科学的には証明されています。ただし、その存在に意味は、質量のある物質の存在とは異なっているか、質量のある物質の存在の拡張になっていると考えるべきです。

  2. もう一つの問題は、対比命題にあります。今までのところ、「重力がない」状況は観測されていません。ですから、「重力がない」という表現をあたえても、それが対比命題として有効かは不明です。たとえば、「筆者が西暦3000年に生きていたら」という表現は可能です。しかし、そのような命題はナンセンスなことがわかっていますので、検証可能性以前の命題になります。

まとめ

このように、哲学が言葉を使って考える以上、表現として可能な部分と、実現可能な現象の表記と判断できる部分は異なります。この識別は、質量を伴う実体の場合には比較的容易ですが、それ以外の場合には、識別は難しくなります。また、表現として可能な部分の成り立ちは、日常の言語使用に由来します。ウィットゲンシュタイン言語ゲームに熱中したのは、この辺りに理由があると筆者は考えています。

計算論的思考

次に、一番簡単なコップがあるか、ないかを判断するプログラムコードを考えてみます。

オブジェクト指向で単純に考えると次になります。

オブジェクト:コップ

メソッド:コップの存在の有無

ところが、この方法でのコーディングはできません。なぜなら、この方法では、メソッドを適用した結果、コップがないという返り値をえることができないからです。

実現可能な方法は次のようになります。

オブジェクト:テーブル

メソッド:コップの付着の有無

ホテルの予約状況のコードは次のようになっているはずです。

オブジェクト:ホテルの部屋

メソッド:宿泊客の人数

重力の存在は、科学的に検証されていると申しあげましたが、検証方法はオブジェクト指向と同じです。

調査空間をオブジェクトに設定して、そこで、重力を観測します。この方法で、今まで、調べた空間で、重力が観測されなかった場合はなかったということです。

実在を検討するには、検査空間をオブジェクトに設定し、観測します

存在の有無を検討したいモノ自体はオブジェクトではありません

ですので、実在はオブジェクトの属性値のひとつで、テーブルの色や長さと同じレベルの扱いになります。

オブジェクト指向では、オブジェクトを指定する時点で、その存在が前提になります。

関数型言語で、事前に、変数を宣言しておく方法もありますが、この場合には、考えられる全ての変数を事前にリストアップして、置くことが原則です。これは、ここでの、検討事例にはなじまないと思います。

まとめ

最近のプログラム言語は、厳密な内容をできるだけ容易に記述するという上で、各段の進歩を遂げています。

筆者は、哲学の表記に計算論的思考のアイデアを活用することで、よりエレガントな検討が可能になると考えています(注2)。

実在そのものはコーディングできませんので、計算論的表記では、表わせません

また、実在そのものを検討や利用するメリットはないので、現実には使われていません。

したがって、実在を議論したがる人は、計算論的思考ができていない人と思われます。

実在論者でAIを論ずる人もいますが、少なくとも、計算論的思考のできない人のAI論は、

聞くに堪えないと思われます。

 

 

注1:機械学習の研究の進展により、人間の認識と機械の認識の大きな違いが、人間には寿命に依存することがわかってきました。例えば、人間が認識に使えるメモリーには限界があり、それが、認識の制約になっているようにも思われます。また、年齢または、発達に伴い、各段間で得られるデータのうち、学習用に用いるデータと、検証用(あるいは学習結果を用いた分析用)のデータの比率が変化するように思われます。その結果、年をとると頑固になる、融通が効かないという帰結が得られます。今までの哲学は一般性を重視するあまりに、人間の認識の限界を無視してきたように思われます。したがって、今後、人間の寿命と脳のキャパシティを考えた哲学が必要と思われます。また、メモリーサイズとデータ更新の制約(寿命)を受けないAIが、この2つが優位に働く分野では、人間を超えるのは、当たり前です。この場合の課題は、AIと対決することではなく、機械学習のノウハウをどのように人間の脳にインプットして、活用することで、人間の脳の制約条件を乗り換えることが可能かという点になります。

注2局所変数と大域変数の区別、再帰など、計算論的思考を使えば、今までの哲学では、複雑に見えた議論が、驚くほど簡潔に記載できます。これらは、機会を見て紹介したいと思います。

引用

普遍論争 wiki

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%AE%E9%81%8D%E8%AB%96%E4%BA%89

科学的実在論 wiki

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%91%E5%AD%A6%E7%9A%84%E5%AE%9F%E5%9C%A8%E8%AB%96