アメリカと中国が似てきた理由(4)~コロナウィルスのデータサイエンス(84)

技術パラダイムの変化

2001年にオニールは「Building Better Global Economic BRICs」をだしています。

https://www.goldmansachs.com/insights/archive/archive-pdfs/build-better-brics.pdf

1980年と2000年を比べた場合に、技術の大きな変化が生じています。

しかし、技術変化については全くふれらていません。

BRICsの経済成長は、1980年の「工業化による途上国から先進国への転換モデル」とは異質の速度です。

1980年代に、色々な途上国で、苦労しながら、進めていた工業化が、2000年以降には、特に中国で、いとも簡単に出来てしまったことになります

その理由は何かが課題になります。

筆者は、その最大の理由は技術パラダイムの変化にあったと思っています。

オニールは、資金を集めるために旗振りをしたところ、技術パラダイムの変化にうまく乗っただけなのかもしれません。

この技術パラダイムの変化は、2000年頃から現在も進化しながら引きつづいていて、経済社会に破壊的ともいえる大きな影響を与えています。ここでは、そのうち、2000年頃の工業化に最も関連の深い部分に限って考えて見ます。

技術パラダイムの変化と計算論的思考

1990年代の情報処理技術の進展が、モノづくりに影響をあたえました。これは、一般には、技術変化としてとらえられてきましたが、Wing(2006)「計算論的思考」あたりから、概念分析のレベルでとらえられるようになってきており、最近では、教育の大きなテーマになってきています。これは、表現形式としては、技術のソフトウェア化になります。

  • ソフトウェアあれば、誰でも、同じものをつくることができる。職人がソフトウェアで代替された。行動な労働者は必要がない。

  • モジュール化と共通インターフェス化が進んだ。

  • オブジェクト指向技術が使えるようになった。

  • 技術レベルが段階的に展開しなくなった。

  • 水平分業が可能になった。

これらは、結果的にできてしまったことです。

IT関係のハードウェアは、指数的に改善が進みます。その結果、1990年代には、オブジェクト思考プログラミングのようなアイデアでしかなかったものが2000年代には実装されて使えるようになります。

例えば、微分は、工学や物理の世界では、微小な差分商でしかありません。しかし、計算資源が効果であった時には、微小な差分を計算することは限定され、数値解は求まる分野は限定されます。しかし、計算機資源が安価になれば、まず、計算してみればよいことになります。計算できるものはまず計算してみようという考え方です。このようにある問題をコンピュータ上の問題に置き換えでみる思考が「計算論的思考」(注1)になります。

問題が、計算論的思考に乗せられれば、そのあとは、既に、ある情報科学のツールを使って問題を処理することができます。

2000年以降の技術パラダイムの変化は、ドライビングフォースは、計算論的思考にあったように思われます。これが、新しい技術パラダイムの方向付けをして、いると筆者は考えています。

最近では、工学分野ではデザイン教育が重視されています。

今までは、アイデアがあっても、アイデアを実際のものにするためには、非常に多くの工程と、熟練工を必要としてきました。いわゆる「ものづくり」の発想です。しかし、計算機科学は、モノづくりには、ソフトウェアの作りかたと共通するプロセスがあるはずだと考えます。これが、モノづくりに対する計算論的思考になります。部品のモジュール化、継承可能性、センシングの改善、3Dプリンタなどはこうした方向で、モノが作れるという信念があって初めて実現します。

こうした技術パラダイムの切り替えがあったこと、中国が、BURCsの中で、唯一、技術パラダイムの切り替えに成功したことが、現在の経済成長がある原因と筆者は考えています(注2)。

その点では、アメリカと中国の稼ぎどころは、似たような分野に集中するとともに、層の厚い中間層が、相対的に貧しくなっていくことが止まらなくなっています

 

 

注1:計算論的思考, 10年後

「計算論的思考, 10年後」の記載が、より整理されていると思いますので、ポイントを引用しておきます。


私は計算論の概念と方法そして道具の活用によって,あらゆる学問分野と専門領域,セクターにおける大きなやり方が転換されると論じました。計算的な効果を利用できる能力を持っている人は,そうでない人よりも,大変有利です。なので,コンピュータ科学コミュニティにとって,コンピュータ科学者がどう考えるのかを将来世代に伝えていくとてもよい機会だと私には思えたのです。それで「コンピュテーショナル・シンキング(計算論的思考)」と相成ったわけです。 計算論的思考が,21世紀中盤の世界であらゆる人にとっての基礎スキルとなる,というビジョンにまで到達したことに私自身が驚きと歓喜を感じていることを認めざるを得ません。

科学的方法の第3の支柱

科学と工学の分野で,計算(computation)が,理論(theory)と実験(experimentation)とならぶ第3の科学的方法の支柱であると私は認識していました。なにしろコンピュータはすでに巨大で複雑な物理的自然システムのシミュレーションに用いられていましたし,遅かれ早かれ,科学者とエンジニアであればどんな分野においてもアルゴリズムとデータ型,そして状態機械といった計算論的抽象化のパワーを認識するようになるでしょうから。 今日では,膨大な量のデータの到来とともに,芸術や人文,社会科学を含むあらゆる分野の研究者が計算論的手段と道具を使って新たな知見を発見し続けています。


 

注2:この問題を、ここでは、「アメリカと中国」の対比の中で論じているのですが、実は、計算論的思考に基づく、新しい技術パラダイムへの転換は、日本が、失われた30年(+α)になっている最大の原因でもあると思います。

1990年頃には、センシングの限界よりも、職人の手作業の方が精度がすぐれていえるという人が多くいました。しかし、計算論的思考では、これは単に、センサーとアクチュエイターの精度問題にすぎず、時間経過に伴う技術開発で、乗り換えられはずと考えます。デジタルカメラが出てきたときにも、フィルムカメラより画像が劣るといわれましたが、それは、センサーの技術進歩で乗り換えられるはずであると考える思考が、計算論的思考です。問題は、何を作りたいかという目的意識とそれを、パーツに落とし込んでいく、思考形態です。問題が難しくなればなるほど、計算論的思考はその威力を増すのですが、これに慣れていない人は、計算論思考から逃げ出します。計算論的思考は自然に身につくものでははく、プログラミングと同じように、トレーニングをしないとできるようにはなりません。おそらく、満足に使えるレベルに習得可能な人の割合は10%以下と思われます(注3)。ですので、計算論的思考は、大衆の支持を得ることはありません。大衆の支持を得るには、計算論的思考ではなく、名人芸やアートに持ち込んで、それは、パーツには分解不可能であるという不可知論に持ち込むことです。ここでは、思考停止が起こり、問題は先送りされるだけです。「おもてなし」も、山口氏の「アート論」も思考停止で、大衆受けしています。

  • 山口周 ニュータイプの時代 新時代を生き抜く24の思考・行動様式

芸術には、作品を送る側と受けとる側があります。山口氏は受けとる側の論理をもちだしますが、送る側の論理は全く別です。画家がモナリザを見る場合には、モナリザを分解して、パーツにわけ、次の自分の作品制作に利用可能なアイデアや技法がないか分析します。ベートーベンの田園交響曲は、自然シーンを音楽で描写するためのモデルとして、徹底的に分析され、ディズニーなどあらゆる映画に応用されていることは有名な話です。ここにあるのは、計算論的思考に他なりません。注1を参照してください。

注3:日本を豊かにする教育とは、おそらく、10%以下の能力のある人を見出して、その能力に磨きをかけてもらうう教育になります。計算論的思考を突き詰めていくと、自然に得られる結論です。この点は、非常に大きな問題です。10%は小さすぎるかもしれませんが、50%を超えることは難しいと思います。これは、例えば、教育によって識字率はあがりましたが、これは、読めるということで、それなりのレベルで書けることは、正確な数字がないのでわかりませんが、あまり難くないと思います。計算論的思考を読めるレベルは、普及できると思いますが、計算論的思考で書ける、考えることは、ハードルが高いと思います。この辺りは、指導用要領は、判断を現場に押し付けているだけと思われます。

 

 

引用

https://www.cs.cmu.edu/afs/cs/usr/wing/www/ct-japanese.pdf

〔学習用翻訳〕計算論的思考:林向達(徳島文理大学

https://www.facebook.com/notes/1238337629547688

Computational Thinking, 10 Years Later

https://cacm.acm.org/blogs/blog-cacm/201241-computational-thinking-10-years-later/fulltext

https://www.microsoft.com/en-us/research/blog/computational-thinking-10-years-later/

「計算論的思考, 10年後」

https://www.facebook.com/notes/1610275949020519/

  • 「コンピュータ・サイエンティストのように考える」美馬 のゆり 2019年02月04日版

https://www.ipsj.or.jp/annai/aboutipsj/mima_noyuri_2019.html

  • 新学習指導要領のポイント(情報教育・ICT活用教育関係)

新たにプログラミング的思考を育成

https://www.mext.go.jp/content/1407394_2_1.pdf

  • 第3期教育振興基本計画を踏まえた,新学習指導要領実施に向けての学校のICT環境整備の推進について(通知)平成30年7月12日

https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/zyouhou/detail/1407394.htm

  • 小学校段階におけるプログラミング教育の在り方について(議論の取りまとめ)平成28年6月16日

情報技術を手段として使いこなしながら、論理的・創造的に思考して課題を発見・解決し、新たな価値を創造する

https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/122/attach/1372525.htm