アメリカと中国が似てきた理由(2)~コロナウィルスのデータサイエンス(70)

Stage Up問題の糸口

今、世界中がStage Downに苦しんでいます。

高成長社会から、低成長社会への切り替えです。

しかし、この問題は今に始まったことではなく、ある意味では、普遍的な課題です。

ちょっと前までは、イデオロギーで経済成長が異なるという神話が通用していました。

1955年から1975年にはベトナム戦争が起こりました。このとき、北ベトナムの共産勢力は、南ベトナムと米国の資本主義勢力と戦争をしていました。このときには、イデオロギーが経済成長や、生活を支配すると信じられていたのです。米国は、資本主義の盟主として、戦争の途中からフランスに代わって戦争に参入し、5万8千任の死者数を出しています。ベトナム戦争のすべての死者数は117万人に及ぶといわれています。

1991年のソビエト連邦が崩壊すると、社会主義をやめる国が続出して、現時点では、明確に社会主義の単独政党をとっているのは、中国、北朝鮮ラオスくらいと思われます。

80年代には、ある国が経済成長するためには、安くて良質な労働力、生産技術、工場を建設するための資本を自前で調達する必要があると考えられていました。この時期には、南北問題というのがあって、豊かな北の国は経済成長して、次第に豊かになるのに対して、南の国は取り残されていると考えられていました。

1990年代前半に、イデオロギーから、市場経済へのシフトが起こりました。その原因は、社会主義体制の国の崩壊と、安価な労働力の供給にあります。資金と技術は、外国から調達できると考えられるようになりました。

Stage Upの勝者

安価な労働力の供給はStage Upの要因の一つではありますが、旧社会主義体制であった東欧諸国は、未だに、西欧諸国には追い付いていません。東ドイツは、発展の条件からは、最も恵まれた位置にありましたが、依然として国内の東西格差は解消されていません。

90年代に、中国経済が成長したので、2003年にゴールドマン・サックスが、面積と人口規模の大きな国をまとめて、BRICKSと呼びました、このブラジル、ロシア、インド、中国の中で、継続的な成長に成功したのは中国だけです。

2000年以降の20年で、先進国でGDPが増えなかった国は、日本だけで、他の国は2倍になっています。途上国でも2倍になった国はあります。しかし、中国は、1999年から2019年の20年で10倍になっています。もちろん、中国のGDPの精度については、疑問が多く出されていますが、その分を割り引いて考えても、ブラジル、ロシア、インド、中国の中では、抜群のGDP成長を遂げたことは、中国製品が世界中に流布していることからも間違いはないでしょう。

過去30年のGDPの成長率で言えば、中国は最大の勝者です。勝者になる公式はわかりません。それが、分かっていれば、模倣したい国はあとをたたないでしょう。

中国の戦略

そこで、問題設定をかえます。1980年頃の中国の指導者が何を考えてたかを推察します。

この時点で、中国が経済成長することは全くわかりません。しかし、貧しかったので、経済成長が必須であると移転では指導層の間で意見が一致していたはずです。1966-1976年に文化大革命があって、イデオロギーの暴走が経済を壊滅的に破壊してしまったあとです。社会主義体制(別にどの体制でもよかたかもしれませんが、指導層の既得利権を維持できる体制のことです。)を維持しながら、イデオロギーの暴走を止めて、経済的に豊かにする方策が探求されたはずです。

1978年に改革・開放政策が取られますが、これはイデオロギーの制約を緩めて、鎖国状態を解消しようということです。開放しても、中国には、インフラも、人材も破壊されていました。ですから、工場を誘致できるような状態ではありません。1978年に日中平和友好条約がむすばれ、1981年ころからODAが本格的に動き出します。つまり、開発の財源手当てができ始めます。

おそらく、このころに、Stage Up戦略が練られたと思います。

1980年代初頭にはまだ、南北問題がありました。アジアで先進国への成長に成功したのは日本であって、台湾、韓国、香港、シンガポールが一人あたりGDPではその後を追っていました。タイやマレーシアなども、こうした成功した先進事例を取り組んでいました。中国が、異なっていたのは、社会主義体制であったことです。指導部はおそらく、次ような条件を考えたはずです。

  • 先進事例を活用する。

  • 社会主義体制を維持する。

  • 失敗したときのダメージを最小限にする。

  • 次のステージを考え、資金、技術など自国発展に必要なリソースを蓄積する。

先進事例では、日本と香港が重要であったと思います。日本は、人口がそれなりに大きいので、条件が他の4か国より類似しています。当時、日本の発展では政府主導で、少ない資金を特定の産業や地域に集中して投資する開発方式が発展の要因であるといわれていました。技術は、欧米の模倣でも成長できる事例と思われました。

香港は、中国の文化圏になるので、この点では、成功事例を模倣しても文化的な問題を引き起こすリスクがありません。しかも、将来は、中国に返還されるので、最適な模倣事例と考えられたと思います。

問題は、失敗したときのダメージが、政権全般に及ばないようにする、特に、社会主義体制に対する批判にならないようにするためのサーキットブレーカをどのように組み込むかという点であったと思います。経済成長が成功した後になってみれば、サーキットブレーカは作動しなかったので、無用の長物になりますが、それは、あとから言えることで、事前には保険をかけたはずです。

失敗したときのダメージが中国全土に及ばない工夫が「経済特区」であったと考えられます。最悪の場合でも、経済特区を切り離すことを想定していたと思います。沿海部主要都市の外資開放はその後になります。

1979年に4つの経済特区が設定されます。深圳 ( 香港に隣接)、珠海( マカオに隣接)、汕頭( 華僑が多く、海外との交流が密接)、廈門( 台湾の対岸)です。

1985年に沿海部主要都市を外資に開放し、経済技術開発区の建設を決定(大連、青島、上海など14都市が対象)します。

このように、経済特区は、第2、第3の香港やマカオイメージしていました。

1990年頃に、想定外の変化が起こります。ソ連邦などの社会主義体制の崩壊と天安門事件です。経済成長があっても、格差が生まれれば、不満な人が出てくるので、体制の維持が難しいことがわかります。このため、政策運営には2つのハンドルが必要であるということが明確になります。

前者がうまくいっているうちは、後者は不満分子などの一部の人に荒療治をすればすみます(とはいえ人権的には大問題ですが)が、前者がうまくいかなくなり、不満を持つ人がメジャーになりますと、荒療治は使えなくなります。この場合には、そうなる前に、不満を持つ人がメジャーにならないように、フュージョン手法のレベルをあげていくしかありません。フュージョン手法のレベルをあげるというとSFのようにおもわれるかもしれませんが、中国の場合にはアヘン戦争を経験していますので、これはリアルの問題です。

香港の何が問題か

香港では、不満を持つ人は、すでに、少数派ではありません。香港では、社会主義経済というフュージョン手法はつかえません。香港で、フュージョン手法を使うためには、社会主義経済に組み込む必要があります。

中国国内には、深セン市など第2第3の香港があります。ここでは、今までは経済成長が問題になっていませんでした。しかし、今後は次の問題がおこります。

  • ルイスの転換点を超えてしまい、経済成長は減速化します。

  • 少子高齢化問題があり、人口ボーナス期は過ぎています。

  • 米国との覇権競争問題が深刻化しています。

  • 不平等な経済ルールに制約が課されてきています。たとえば、中国では外資の企業買収は49%までしかできませんが、逆に、外国では中国資本は企業を買収できます。これに制約がついてきています。

  • 過剰な人口が輸出できくなっています。全人代では、1億人程度はアフリカで働いても良いのではないかという話題がでたようですが、それは難しくなっています。

  • コロナウイルスで経済が急速に悪化することが明確になってきました。

おそらく、こうした状態ででは、政権維持には、フュージョン手法の活用しかないと考えられます。

その際に、香港は、今のままでは、火種になるので、たたいておきたいのです。

香港問題は、こうした困難な状況下でおサーキットブレーカの再構築問題でもあります。ここで失敗すると、将来、深セン市などに影響が及び、政権を揺るがしかねません。

なお、社会主義体制が残っている国は少ないですが、中国の指導部は、社会主義にはこだわっていないと思います。安定して有効なフュージョン手法が使える体制であれば何んでもよいと考えていると思います。例えば、米国も、今までは、「大統領は英雄であって、国民のために人生ささげる選ばれた人である」というフュージョン手法の上に成り立った民主主義でした。トランプ大統領は新しいフュージョン手法を持ち込みましたが、それは、従来の手法がフュージョンであったことを暴露してしまいました。

詩人ユウェナリスは「パンとサーカス」でローマ帝国が統治しているといいました。

「パン」は「経済成長と格差の是正」に、「サーカス」は、「イデオロギーフュージョン手法)と外国責任論」に対応します。「パンとサーカス」の統治の是非は別にして、反乱がおこらず安定した統治ができる条件は変わっていないと思われます。

今回はここまです。

今までは、State UpとStage Downの2分法でしたので、次回は、もう少し詳細に考えてみます。