愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ
PCRの検査について、新潟県はドライブスルー方式を導入しました。
厚生労働省も、意見を翻して、ドライブスルー方式を導入する方向になったようです。
一方、感染症関連の2学会は、PCR検査を増やすべきではないという声明をだしました。
神奈川県の医師会は、PCRを増やすことは、防護服が足りないので、できない旨の声明を出しました。
神奈川県の医師会の声明は、それまでのPCR検査の経験にもとづいています。
新潟県の事例を見ると、ドライブスルー方式は、検査時には、手袋を代えるだけでよく、防護服は継続して使っているようです。
PCR検査を増やすと医療崩壊が起こるという論調が、多くありますが、それは、「経験に学」んでいるだけだと思います。韓国を例に出すまでもなく、医療崩壊を起こさずに日本よりPCR検査を多く行っている国がたくさんあるので、もう少し検査数をあげることは可能なはずで、その検証には、外国の事例を参照する必要があります。PCR検査を増やすべきでないという論調は日本国内の「経験」を引用しているだけです。
外国のエビデンスに基づいた議論や検討が必要なのですが、まったくなされません。
コロナウィルス対策は、専門家の委員会のレジメをはじめとして、厚生労働省(官僚組織)が主導権をとっています。
官僚組織は、組織の「経験に学ぶ」ことは得意ですが、「歴史に学ぶ」ことは不得意です。
それは、誰かが「歴史に学ぶ」提案をしても、他の人がその「歴史」を勉強していないと、村八分になるからです。一方、組織の過去の「経験」を共有していない人は常識がないとして、村八分になります。
しかも、こうした暗黙の知識は、文書化されていないことが普通です。
今回のコロナウィルスのように、組織の「経験に学ぶ」ことが無効な場合には、「歴史に学ぶ」こと方針転換する必要がありますが、それは、極めて困難です。
「アベノマスク」ですっかり有名になったマスク対策ですが、1月から2か月以上も何ももしてこなかったことが露見してしまいました。さらに、驚くことには、厚生労働省には、「マスク対策班」があるのです。
これは、誰かが悪いのではなく、官僚組織のマネジメントに問題と思います。
こうした官僚組織の病は、大学や学会にも伝染しています。
世界には、コロナ地図を出しているジョンホプキンス大学や、パンデミックの予測レポートを公開しているインペリアルカレッジなどがありますが、日本の大学で、組織的に存在感を示しているところはありません。
これは、日本の大学が、許認可権限と予算を文部科学省に握られれいるので、官僚化が進んでいるためと思われます。
関連学会も、HPをみると時々、情報が更新されているだけで、積極的に発言する社会的使命があるという意識はかんじられません。学会の構成員も大学の先生が多いので、これも当然かもしれません。
こうして中で、西浦先生は、ツィッターを中心に活動しています。
緊急事態宣言が出たときに一部新聞社は号外をだしたようですが、ツィッターがあれば、号外は意味不明と思われます。
4月15日に、西浦先生は、単独でテレビ会見をしたようですが、これが、最初の情報を出してから2週間後であったことに気づいた人はほとんどいなかったのではないでしょうか。
当たり前ですが、コロナ後の世界は「歴史を学ぶ」ものが生きのこります。今までの「経験に学ぶ」ゲームルールは、大きく変更されつつあります。