アリとギリギリスの物語~コロナウィルスのデータサイエンス(その29)

アリとキリギリスの物語

「アリとキリギリスの物語」は、イソップにでてくる寓話です。

夏(余裕のある)にしっかり準備しておかないと冬(余裕がなくなった状態)を乗り切ることができずに死んでしうから、注意しなさいという寓話です。この寓話のポイントは、次の2点です。

  • 対策は問題が起こってから(冬になってから)では、間に合わない余裕のある(夏の)うちに行わなければならない。

  • 対策を講じなかったつけは、状況が厳しきなって初めて発現する。今、問題が発生していないことは、それまでの対策が十分であったことを意味しない。

これらは、今までは、「変わらない日本」として知られてきました。今まで、検討のまな板にのった既にタイムアウトになっている典型的な事例には次があります。

今回のコロナウィルスが、社会に与える大きな影響の一つは、今までより冬が早くやってくるということです。その結果、次の点は、ほぼ、冬の時代に突入しています。

  1. 医療崩壊:医療が高度化した結果、町医者では対応できない事例が増えました。その結果、患者が大規模病院に集中しています。逆にいえば、町医者の仕事の多くはスマホのソフトで解決できるものです。しかし、医師会は、町医者の利益代用なので、医療体制の再構築が遅れていました。米国の場合には、個人開業医は、大病院にテナントで入るので、カルテの電子化、高額機器の共同利用の問題は解決しています。日本では、カルテの多くは電子化されていません。お薬手帳も電子化さていません。これらの情報はリアルタイムで集計可能で、感染症の動向を把握する上では有効なはずです。

  2. 個人IDの活用:マイナーバーは全員に配布されているわけではないので、個人IDになりません。また、キャッシュレスの支払いがIDにリンクしていれば、税金の支払いは、自動的に計算可能です。生活保護や今回の生活困窮者への資金提供も、IDがあれば、コンピュータが計算して、自動的に振り込みます。EUなどでは、福祉のID化が進んでいるので、生活弱者救済は、条件を決めて、自動的に、資金を振り込んでいます。この部分のおくれは、致命的な状況を生んでいます。一つ間違えると犯罪率の増加につながります。

  3. IT学習と学校制度の課題:学校の授業は、紙のテキスト、大教室の授業、講義以外の膨大な雑務を教員の仕事にする旧態依然のシステムに支えられています。教科書は、紙であるために、コストの制約から、薄いページ数、カラー印刷の制限がかかっていますし、動画や音声教材へのリンクは限られています。こうしたシステムの教育効果をエビデンスに基づいて測定することは行われず、文部科学省は、許認可権限を放しません。一律の講義は、既にわかっている生徒には退屈ですし、落ちこぼれの生徒には、単なる時間つぶしにしかすぎません。しかしながら、学校のシステムは、講義を決められた時間をしたことで成り立っています。問題点は、登校停止で明確化していますが、当面は授業を動画配信に置き換えただけです。英語ができれは、カーンアカデミーや、MITなどの海外の大学の公開授業に置き換えられる質の講義が国内にあるとは思えません。また、IT系など、最近の基本的なスキルは、マニュアルも英語または、英語の動画なので、基本的な英語の能力がなけれは、卒業後に、フォローアップすることは不可能です。

このように、コロナウィルスが描きだしている世界は、アリとキリギリスの世界に見えます。