ゴッホ展と写真の構図と解像度

 

上野の森美術館ゴッホ展 (10月11日 (金) 〜 2020年1月13日 (月))を見にいってきました。

HPは以下です。

http://www.ueno-mori.org/exhibitions/article.cgi?id=913189

ここでは、ちょっとへそ曲がりな見方をしてきたので、ゴッホ展を例に構図について考えてみます。

また、写真と絵画の関係も、哲学や認知を考える題材としては、面白いと思っています。

写真の構図と絵画の構図

写真の構図と絵画の構図には共通点もありますが、違う点もあります。

風景画と風景写真には、共通点が多いと思います。

一方、静物には、違いがあります。次の写真はウキペディアのPieの解説の素材から選んだ写真です。

https://en.wikipedia.org/wiki/Pie

 

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サンプル1

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サンプル2


  2枚の写真は、パイを写したものです。

ぱっと見た感じで、どちらが写真らしく、どちらが絵画らしく感じられたでしょうか。

写真のテキストで推奨しているアングルはサンプル1のように、皿の一部が写らなくとも、対象の食物が強調されている方がよい写真であると書かれていることが多いです、

一方、美術館にいって、(Food Photographyに相当する食物絵画はないので、)静物画を見るとほぼサンプル2の写真のように、対象物が欠けていることはないと思います。

なので、写真と絵画では、構図に関する美的センスが異なっている点があるように思います。

写真と絵画の構図の共通点

とはいえ、共通点もたくさんあります。違いよりも、共通点の方が多いと思います。

写真の構図については、三分割構図がよいといわれています。これは、画面を縦横に3等分した9マスのマス目を作り、その交点に、注目する対象物をおけばよいというものです。似たようなことは絵画でも言われていて、Z型の図形をつくると安定するという人もいます。

写真では画面の真ん中に、主とする被写体を置くことは、日の丸構図として、よくないとされています。

絵画で、人物を書くときに、画面の中央に、正面から見た人物を書くことは、まずないと思います。というのは、正面から見た人物は、鼻の高さなどの立体感を出すのが難しいのです。人の顔は、実際は微妙に非対称なのですが、非対称すぎても、対称すぎても不自然な人物像になってしまいます。なので、普通は、あえて、こうしたリスクはとらないのです。

風景画については、画面の中に、近景、中景、遠景を入れると安定するとか、遠近のパースを入れると安定するともいわれます。これは、そのまま写真にも当てはまるでしょう。

印象派の構図

ゴッホ展には、ゴッホのほかに、交友関係のあった印象派の画家の作品が展示されています。

三角形構図で有名なセザンヌは安定した構図、その他に、風景画であれば、古典的な遠近を使っている作品もあります。しかし、こうした、構図に乗らない方が多く感じられました。

たとえば、今回の展示の目玉は、展覧会のポスターにもなっている糸杉です。これを3分割構図で解釈することは難しいと思います。印象派の絵画は、色に対する感覚を重視する一方で、形は不明瞭になっています。

この色に対する感覚は、驚くべきもので、ホログラムのように、見る角度によって、画面の同じところから、色々な色が少しづつ変わって飛びだしてきます。こうした感覚は、美術全集では決して得られることのない魔法のようなきらめきといえましょう。

一方で、その絵画を構図として、分解してみようとすると、ほとんど、理不尽ともいうべき構成をしています。

ここで、展覧会の絵を示したいのですが、手元に掲載可能なものが、見つかりませんので、代わりに、自分の撮った写真を示します。写真には、近景も遠景もなく、水と木と柵が写っているだけです。3分割構図とすれば、木の位置が変です。しかし、印象派の絵画の構図には、形だけ見れば、こうした感じの、構図が多くみられるのです。

 

 

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サンプル3

 

色彩と明暗の構図

しかしながら、モノとしての形の構図を求めることを中止して、明暗と色彩のバランスだけに着目すれば、印象派の絵画は、十分にバランスのとれた画面構成になっています。

上の写真も三分割構図としては変なのですが、色の明暗のバランスからすると、画面の下半分の水が暗い色をしているので、下側が重く感じられ、上が軽く不安定な構図にはなっていないのです。

印象派の構図は、形に着目しないで、この写真の説明のように、明暗や色彩に注目すると、決して違和感のある構図ではないのです。でも、これに同意してしまうと、3分割構図って何なのか、分からなくなります。

解像度の問題について

印象派の絵画を見て、もうひとつ気になったのは、解像度の問題です。ご存じのように油絵の場合には、絵の具が、粘りますので、細密画ような細かな線を描くことは不得意です。どちらかというと、先のあまり小さくない絵筆で、絵の具をそこに置いたような書き方になります。印象派では、絵の具を混ぜない技法が多く使われたため、解像度は低くなります。ゴッホは晩年に、キャンバスに絵の具の筆の跡が明確にわかるような絵をかいています。糸杉の場合には、糸杉の葉は、渦を巻くような絵の具の筆あとで表現されています。そこには、糸杉の細かな葉を1枚1枚描こうという意図は全く見られませんが、全体としてみたときに、糸杉であることがわかれば良いのです。

例を示します。

次のハーブの写真は、解像度を落としたもので、葉の一枚一枚ははっきり写っていません。解像度は640x480に落としてあります。

 

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サンプル4 全景

 

ピクセル等倍にした、画像の細部は次です。

 

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サンプル4 等倍

しかし、これは、実際にはみえません。

普通のディスプレイの解像度1920x1080の画像は次です。ブログに張り込まれた写真はリサイズされるので、この解像度では見えていないと思います。

 

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サンプル5 全景

 

 

ピクセル等倍の画像が次です。

 

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サンプル5 等倍

 

 

人間の目は、通常は、640x480程度のはっきりしない画像から、対称が、植物の葉であることを識別して、実際の解像度はもっと高いはずであると認識して、無意識に補正をかけます。1920x1080の解像度の写真が、640x480の解像度の写真と異なることは、認識しますが、だからといって、前者の方が解像度が高いと認識する訳ではありません。

次は、640x480の画像です。

 

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サンプル4 その2

次の画像は、1920x1080の解像度の画像です。

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サンプル5 その2

2枚の画像は、コントラストを変えてあります。解像感は、単純ではないとおもいます。

レンズ交換式カメラとコンデジでは、アンシャープネスのかけ方が違って、コンデジの方が輪郭強調になっているといわれます。この場合には、暗に、コンデジは不自然でよくないという意味が込められていることが多いと思います。

しかし、こうした評価軸で考えれば、印象派の絵画は、ダメになります。

印象派の絵画は、目の認識特性を考え、それに合うように、絵作りをすることで、効果をあげたのです。

写真の場合には、こうした視点が少ないと思います。

例外もあります。例えば、フードフォトで、コールドドリンクに入っているアイスの代わりに、アクリルのダイスを使うことがあります。これは、実際の氷よりも、アクリルの方が、写真写りがよく、おいしそうに見えるためです。

ボケと解像度の問題について

一方、写真の解像度についていえば、木の葉の1枚1枚がきれいに写っているといった高解像度が重視されるか、逆に、ボケが多い方がよいといった両極端になっています。印象派の絵画をみれば、ポイントとしての解像度よりも、光やコントラストから得られる解像度の方が重要です。印象派の大らかな筆のタッチから、どうして、細かな糸杉の葉が見えているように感じられるか、ポイントはこうした魔法にあるのであって、物理的な解像度ではないと思います。また、スマホなどでレンズから離れて作る人工的なボケはよくなく、レンズによるボケがよいという主張も根拠は薄弱です。絵画の場合には、見えていても、描きたくないものは、描かないのが原則です。ボケは、描きたくないものを描かない技術の一つに過ぎないと思っています。

解像度は、カメラマンは、いつもピクセル等倍で、確認しているので、全体像の画像を見ても、「ピクセル等倍はどうなっているんだ」というイメージで、写真を評価していると思います。一方、普通の人は、脳にそのような特殊な回路が形成されていないので、同じ写真を見ても違った認識をしていると思います。

今月は、台風で、河川堤防が切れて、大変な被害がでました。一般の人が河川堤防を歩くときには、堤防の大きさ、植生などが目に入ると思います。一方、防災の専門家は、どこが危ないか(切れやすいか)という視点で見ていると思います。

カメラマンが専門家の目で写真を見ていることには、良い点もあるのですが、それに、とらわれると、なぜ、iPhoneで撮った写真が広く支持されるのかが、分からなくなります。

 

というわけで、とりとめもなくなりましたが、ゴッホ展をみて、写真にあり方を振り返ってみたのでした。